金原ひとみ『蛇にピアス』を読む

昨年春の芥川賞を受賞した作品。若い女性が2人受賞したことで評判になった。読みたいとはおもっていたが、さすがにこの本を買う気力はなく、図書館で借りられるまで待ていた。昨年は図書館でも予約が殺到し、借りられなかったが、夏休み前、学校の図書館で見つけて、おそまきながら読むことができた。
綿矢りさ『蹴りたい背中』は今年5月頃に同じく図書館で借りられたが、この2作品は現代の若き女性の「こころ」のありかを鮮明に反映しているのかもしれない。
思春期の一時期に、内向化した感受性が両作品共に鮮明に表現されいる。『蹴りたい背中』ではクラスの仲間から疎外されて「余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌」という感性が素直に表現されている。また、『蛇にピアス』では、主人公ルイと恋人アマ、彫師シバの性的な関係のなかで、社会や家族を切り捨てたことによって得られた感受性が自虐的に表現されている。綿矢は、若くして作家としての道を歩み、自分の心情をもう一つの視点で冷静に測る方法を獲得している。金原は、自虐的な自己を無意識的あるいは意識的にに引きずって生きてきたためか、他者との心的関係性に固執しない渇いた視点から作品を描いている。そして、金原は「私はずっと何も持たず何も気にせず何も咎めずに生きてきた。私の未来にも、刺青にも、スプリットタンにも意味がない。」として、自分の作品そのものにも絶望している。しかし、作者の観点とは裏腹にビビッドな生への渇望がスプリットタンのための舌へのピアスや刺青などの自虐的行為の中に感じてしまう。
これらの作品では、個たる人間が疎外されて行き着く先が共同性や家族ではなく、対なる性的関係性に収斂しているように見える。当然といえば当然である。ここに共同性に抑圧され続け、家族には欺かれ続け、疲れ果てた現代の若者の姿がある。
これほど自由な表現のできる現在においても、戦時中に抑圧された体制の中で、社会性を捨てて内向化した作家たちの傾向と同じような傾向が見られる。それだけ心的抑圧が大きくなっている現われでもある。

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