無能力な内科医

5/14の週は1週間ビッシリ予定が詰まっていた。この歳になると余裕のない予定は、その後の修復は難しくなるようだ。翌週の月曜日に体がだるく、少し熱があるようだったが、大したことはないと思っていたら、水曜日の夕方から少し咳き込むようになって、夜には咳で眠らない状態に至った。それ以降、今日まで2週間、同じ状態が続いている。病院の内科で気管支炎ということで、咳止め薬、去痰薬を処方された。症状が出てからは、1週間に2日ほど行っていたリハビリを中止し、週に2日の休むことのできない仕事だけに予定を絞っている。随分体力がなくなってきたものだ。

社会を見れば、安倍自民党は戦前の日本を理想の国家として突っ走っているし、イギリスでは頭の中の幻想に縛られた原理主義者や国家主義者が自己の正当性を主張し、一般市民を犠牲にしている。なんとも物騒な世の中になったものだ。

中断

しばらく投稿が中断してしまった。咳が3か月ほど止まらず、2か月目に内科の医者を見限って耳鼻咽喉科に行ってみたら、夜の咳は止まった。その後1か月ほど耳鼻咽喉科にかよって、ほぼ咳が止まり、治ったようだ。内科というのは一体何なんだ、と思ってしまう。「熱が出て、咳が止まらない」といえば、調べもせずに「風邪ですね」といって、解熱剤と咳止めを処方する。なんという無能力か、あきれてものが言えない。本当は内科は総合診療科であってほしいというのは、病院に行く患者の本心だ。素人の患者に客観的に判断して、その症状の原因をつきとめ、わかりやすく説明するのが内科医の責務ではないのか、といっても直接言えるわけもなく、弱い患者の泣き言にすぎない。

価値とはなにか

先日大学時代の友人と飲み会を開いた。旧友は気遣いもそれほど必要もなく、思ったことも忌憚なく話せる。そんな中、私が現在興味の持っているのは「脳とこころ」と「価値観」の関係だ、と話したら、Hに「『かわいい姉ちゃんと遊びたい』、と思うのはなぜ」と問われた。この表現には、「めんどくさいことを言っても何の意味もない」、「結局説明なんかできないだろう」という揶揄が含まれている。しかし、この問いに答えれなければ彼の言うとおりだから、少し考えてみた。
「かわいい」には「みにくい」から「きれいだ」までの美の比較と「おさない」から「おとな」までの認知度の比較が混在している。「かわいい」は美としては中間以上で、認知度では中間以下を指している。このように比較する行為は価値観であり、値踏みをしていることになる。この価値は価値論から考えれば「交換価値」に該当し、一般的には「価値」と呼ばれるものに相当する。 また、「姉ちゃんと遊びたい」という言葉の中には「姉ちゃん」に性的な対象として認知してもらい、性的関係に入りたいという生命の根源からの欲求が含まれている。
この欲求は「種の保存の本能」からくるものだ。生命は誕生時に自然と自身を区別する膜をつくり、その中に自然環境のシステムから切り離された独自のシステム(それ自体も自然のシステムだが)をつくりだした。そして、この「種の保存の本能」はもとをただせば、自然環境の激変の中でも、自己のシステムの永続のため、生命を細かく区切り(個体の死)、遺伝子をつうじて、子孫を残したり(個体の継承)、遺伝子を改変して進化(個体の多様化)する方法を選んだ生命の生き残り戦略でもある。
子孫を残す、子供をつくる行為(生命の生き残り戦略)を価値論から考えれば、「使用価値」にあたり、価値の根源を形成している。 そして、この2つの価値、値踏み(「交換価値」)と欲求(「使用価値」)の交点で「かわいい姉ちゃんと遊びたい」という観念が生まれてくる。
人体の構造から考えれば、性的行為を支える性器は消化器官から分離した「内臓系」の臓器で、性的欲求の源である。また、「かわいい」などの眼や耳など感覚器官から入った情報(認知)は神経系を通じて脳で統合化される。この統合するシステムは「体壁系(感覚ー脳)」を構成して認知や判断を司っている。 このように考えると「内臓系」は「使用価値」に対応し、「体壁系」は「交換価値」に対応しており、その交点に我々のすべての価値が存在する。

ロビンソン・クルーソー

つれあいが退院して3日目。1週間の入院だった。入院中は日常の生活を一人でこなすことになり、結構大変だった。朝起きて朝食を作り後片付けして、掃除機をかけ、洗濯して竿に干し、病院に行き、帰ってきて昼食をとり、・・・といったことを時間配分してこなしていた。退院して少し時間がたって考えてみると、以前読んだ本にマルクスが商品の価値を全く無視したときに何が残るかを考えると、労働だけだ(労働価値説)といったくだりを思い出した。

マルクスは『ロビンソン・クルーソー』になぞらえてわかりやすく説明している。クルーソーは孤島に漂着して生きるために必要な作業、魚をとり、畑を耕し、家を建て・・・を一人でこなさざるをえなかった。このとき、自己の時間を各作業に配分して労働した。この作業は目的(使用価値)は違っていても、労働としては共通していて普遍的なものである。ここに貨幣(交換価値)を必要としない価値の根源的な本質がある。

まさに家庭における家事労働は貨幣を必要とせずに使用価値を創造する。

ブログの再開

3年ぶりのブログです。忙しい日々が続いています。年を重ねるごとに体の自由が少しづつ奪われ、同じ程度の忙しさでも、負担が大きくなります。4年ほど前に脊柱管狭窄症で手術した部位に細菌が取り付き、入院せざるをえませんでした。一月半ほどの入院で退院できましたが、細菌が取り付いた椎間板はすっかり破壊され、椎骨がくっつき二つが一つになってしまいました。それがきっかけになった訳ではありませんがブログを書く気にはなかなかなれませんでした。それ以降大学時代の友人とも疎遠になり、自分を解放する場所がなくなると、自然とブログを始めたくなるようです。今後は折に触れ、書き込むことにしたいと思っています。

大阪出張

出張中に倒れた4月以来の出張だ。ANAで関空につき、乗り換えがやっかいなので、リムジンバスで、第一ホテル(マルビ ル)まで一気に行ってしまう。ちょっとチェックインには早すぎたので、荷物を預け、とりあえず1階のスタバで休憩、「サラダラップ、イングリッシュマフィ ンソーセージ&オムレツ」+スターバックスラテ合わせて1000円弱、結構な値段だ。コーヒーも種類が多く、「こだわり」の現代には適合しているのかもしれないが、私には何が何だか分からない。学生の頃よく喫茶店にいったが、あの頃は単純で、コーヒーというと「あったかいやつ」と「つめたいやつ」ということぐらいしかなかったように思う。まあ、しょうがないか。

時間がまだあるので、梅田の地下街の探索に出かけた。元気な時なら、大阪城や難波などに向かうところだが、歩きすぎると足が重くなるので、翌日の仕事のことも考え、近場で時を過ごすことにした。

第 一ホテル(マルビルというらしい)の地下2階が梅田地下街と接続していて、大阪駅方面の矢印を目当てに進む。阪神梅田駅の入口を左に見ながらさらに進む と、階段があり、上って少し進むともう大阪駅だ。向かって右側の大丸に入り、エスカレータで2階に上り、休憩所を探して回りをみると、宝石売り場の奥の窓 際に四角い大きな腰かけがあり数人が座っている。そこで座って携帯パソコンを出し、光リンクで接続して、今いる場所を確認。近くにヨドバシカメラがあるの で、そこに向かう。駅舎の反対側にあるので、駅舎を越え右に折れて地上に降り、歩道を渡って、ヨドバシカメラに到着。大阪に来てなんでヨドバシカメラなん だ、と思いながら入る。1階は携帯電話とパソコン売り場があり、いろいろ最近の傾向をみてあるく。そそそろ2時になるのでチェックインすることにした。帰 りに地下に入ったら、方向が分からなくなり、あとから考えると御堂筋を南下したようで、筋違いで、迷ってしまった。梅田地下街は迷路のように入り組んでい て、知らない土地の地下には入らないのが良いかもしれない。地上に出て、あたりを見回すと、ちょっと離れた後ろに第一ホテルの丸いビルが少し顔を出してい て、そこを目当てに進んだ。およそ1時間半ほどの時間つぶしだった。

「息さわやか外来」とは

先日、つれあいに「口臭が強い」といわれ、医科歯科大学の「息さわやか外来」にいった。名前が「さわやか」だが「高齢者歯科外来」と同じ受付窓口になっている。「ああそうか、息がくさいのは高齢者なのか」とへんに納得して受診した。率直にいえば「口臭外来」だが、なんとも「さわやか」なネーミングなのだろうか。次回はガスクロで息の成分を分析して原因をつきとめるらしい。私の体は大気汚染物質の塊のようにもおもえてくる。オオゴトになってきた。