再び森本学園について~政党の理念

産経新聞インターネト版によれば、

「安保情勢が厳しい中で安倍晋三首相や稲田朋美防衛相の足を引っ張るのは、北朝鮮や中国と通じているのではないかと疑われても仕方ない」-。日本維新の会の足立康史衆院議員は17日の衆院外務委員会で、森友学園問題をひたすら追及する民進党を批判した。・・・

とあった。

日本が戦時中の安保(?)情勢が厳しい時、政府や軍部を批判することが敵国(米国など)に通じているのではないか、と疑われ、投獄させられたり殺されたりすることがあった。維新の会の足立という議員は当時と同じ論理を使って民進党を批判している。私は自民党や民進党などあらゆる政党や宗派などを忌み嫌うもので、民進党を擁護したいなどとは全く思わないが、戦後70年以上もたっても同じような論理が生き続けている現状にほとほといやになってくる。

午前8時頃のNHKの「ニュース深読み」で、中国が韓国のTHAAD配備に対し、国家ぐるみで韓国に圧力をかける状況を放映していた。その中には、

中国にあるロッテデパート前で数十人の人たちがシュプレヒコールで不買を叫んでいた。そこに、ひとりの老人(?)がやってきて、「俺は買い物をしたいから来た。通してくれ」といったら、指導者らしき人が「お前は個人の利益と国家の利益とどちらを優先するのか」と詰問していた。老人は何も言わず立ち去っていった。

というようなものがあった。

この光景から足立議員と中国のロッテ不買運動の指導者が二重写しに見えてくる。以前にもこのブログで「北朝鮮と日本」としてつぶやいたことがあったが、再びつぶやきたくなった。民進党が「北朝鮮や中国と通じている」かどうかは定かではないが、足立議員と維新の会や自民党の理念は北朝鮮や中国と同じであることは確かなように思われる。

築地市場移転問題~土壌汚染

1960年代から1970年代にかけて、水銀やカドミウム、六価クロムなどの重金属やPCBなどの化学物質による公害が発生し、人間や動物の健康を害し、植物が枯れる等大きな社会問題となった。化学物質が事故などにより土壌に浸透したり、不法に土壌へ捨てられ、土壌の持つ浄化能力を超えて過剰に土壌へ入ると、土壌が持つ諸機能を損ない、地下水汚染をはじめとした環境汚染を引き起こすことにもなる。土壌汚染が明らかになると対策が実施されるが、一度汚染された土壌環境を再び回復することは非常に困難であることは、今までの土壌汚染から明らかである。

米国では1970年後半に「ラブ・キャナル事件」として有名な土壌汚染が問題となった。この問題はニューヨーク州北部のナイヤガラ近くのラブ運河を買収したフッカー電気化学は1950年頃に多くの有害化学物質(BHC,ダイオキシン,トリクロロエチレンなど)を合法的に投棄したことから始まった。その後、この運河は埋め立てられて売却され、その上に学校や住宅が建設された。しかし、埋め立て後30年をへて、投棄された有害化学物質が漏出し、住民たちに遺伝子の異常が現れ、流産や死産が多発し社会問題となった。1978年非常事態宣言が出され、立ち退き指定を受けた200の住宅や学校が埋められた。この事件を契機にEPA(環境保護庁)は、1980年に関係者(廃棄物排出者、輸送業者、土地の管理者、融資した金融機関など)すべてに汚染を完全に除去する費用を負担させる包括的環境対処補償責任法(スーパーファンド法)を成立させた。この結果、米国では土壌汚染は大きな環境リスクと考えられるようになり、土地の売買には土壌調査が欠かせないものとなった。

築地市場の豊洲移転問題は2000年頃土壌対策などを東京ガスと協議したことになっている。日本の土壌汚染や米国のラブ・キャナル問題など20年以上も前に起き、その対処の難しさも十分に知っていたにもかかわらず、その対策コストの計算もせず、強引に豊洲移転に踏み切ったことは、我が国の政策によくみられる現象だ。アスベスト問題しかり、ハンセン病、水俣病などしかりである。個人に及ぶ問題よりも企業の利益、あるいは目先の全体の利益を追求する姿勢は依然として変わっていない。まさに、政府が忌み嫌う中国などと同レベルである。

北朝鮮と日本~森友学園と北朝鮮の類似性

金正男が殺害された。北朝鮮が関与しているといわれている。米国はテロ支援国家に再認定するかもしれない。ところで、日本では森友学園の国有地払い下げの不透明な手続きが問題視されている。森友学園の幼稚園教育の一端がTVで放映された。園児が声をそろえて教育勅語を素読している映像で一瞬目を疑った。これは北朝鮮ではないか。

朝日新聞によれば、森友学園では、園児に「日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史でうそを教えないようお願いいたします」といわせているようだ。この言葉の中には北朝鮮が入っていないが、わざと排除しているのか、それとも評ずるに値しないと思っているか定かではない。しかし、園児のこのような姿には国家(共同体)に縛られた子どもたちの思想教育のイメージが付きまとってしまう。この観点からは森本学園が完璧な思想教育をしている北朝鮮を素晴らしい国家と考えているのだろうと思えてくる。(今、日本が北朝鮮と同じような国家かどうかは別にして)森友学園は日本を北朝鮮と同じような国家にしたいと考えているように思えるのは私だけだろうか。

安倍首相のつれあいも、「立派な教育理念を持った学園」といったらしいが、思考(嗜好)が夫婦は似てくるらしいから、安倍首相も表面上は否定しているが、森友学園と同じような思想を持っているのだろう。

トランプの意識的勘違い

トランプは本来は高額所得者保護をねらっている。しかし、外見上はアメリカの雇用を取り戻すことが大統領選挙で自分を支持した白人ブルーカラー層への恩返しをしているようにみえる。そして、不公正貿易の結果、自動車産業などの白人ブルーカラー層の職が奪われ、不満があふれているとみて政策を次々と打ち出し、国内問題を対外政策の問題にすり替えている。今まで米国は資本主義の原理に従って利益を追求しグローバル化を進め、史上最大の利益を上げてきた。その結果、白人ブルーカラーなどの生産業を中心とした国内産業は衰退し、ソフト産業の利益は急成長していった。2015年の「フォーブス」の世界長者番付では1位がマイクロソフトのビル・ゲーツで約9兆円、3位が投資家のウォーレン・バフェットで約8兆円、5位がオラクルのラリー・エリクソンで6兆円など、10位までに5人入っている。この事実を見れば決して不公正貿易が白人ブルーカラーの職を奪っているのではないことは明らかである。企業が利益を追求した結果として職を失ったのであって、資本主義の原理がそうさせたのだ。このグローバル化の流れを止めてしまえば米国の利益は失われ、白人ブルーカラーばかりではなく、ソフトウェア産業のホワイトカラーさえも職を失いかねない。米国の白人ブルーカラー層の救済は対外問題ではなく、国内問題だ。一人で数兆円もの資産を持つものがいるということは明らかに国内の資産(ひいては所得)の分配がうまくいっていないことを示している。ソフトウェア産業が利益を上げているのは数人の優秀な人間の労働の結果ではない。いままで人類の累積された知識(累積された労働)の結果である。数人の優秀な人材の労働が新たな価値を創りだしたことは確かだが、人類が綿々と累積してきた知識から生まれる利益も同時に自分のものとして享受しているのだ。一人の人間の1年間の所得は1億円もあれば使い切れないほどのものである。とすれば、残りの数兆円は累積された労働としてすべての人々に分配されるべきものだ。トランプは国外批判などするよりも国内政策を見直すべきなのだろう。

使用価値とICT技術革新

使用価値は労働によって創りだされるわけだが、ICTの技術革新によって、労働を必要としない環境が整うと、使用価値は機械によって作り出されるのだろうか。そうではない、ICTの技術革新も実は人間の労働の蓄積なのだ。今までの労働価値説は現時点の労働を扱っていたが、ここまで技術が進歩すると、人による労働は減少していく傾向にある。しかし、この技術進歩は導入した会社やICTの技術会社の労働だけによるものなのだろうか。実は、この技術進歩はこれまでに蓄積された労働(経験)に他ならない。この蓄積はその時点で発明あるいは発見した者や会社のものではない。社会全体の労働の蓄積なのだ。この利益は社会全体に還元されなければならない。

ロビンソン・クルーソー

つれあいが退院して3日目。1週間の入院だった。入院中は日常の生活を一人でこなすことになり、結構大変だった。朝起きて朝食を作り後片付けして、掃除機をかけ、洗濯して竿に干し、病院に行き、帰ってきて昼食をとり、・・・といったことを時間配分してこなしていた。退院して少し時間がたって考えてみると、以前読んだ本にマルクスが商品の価値を全く無視したときに何が残るかを考えると、労働だけだ(労働価値説)といったくだりを思い出した。

マルクスは『ロビンソン・クルーソー』になぞらえてわかりやすく説明している。クルーソーは孤島に漂着して生きるために必要な作業、魚をとり、畑を耕し、家を建て・・・を一人でこなさざるをえなかった。このとき、自己の時間を各作業に配分して労働した。この作業は目的(使用価値)は違っていても、労働としては共通していて普遍的なものである。ここに貨幣(交換価値)を必要としない価値の根源的な本質がある。

まさに家庭における家事労働は貨幣を必要とせずに使用価値を創造する。

ブログの再開

3年ぶりのブログです。忙しい日々が続いています。年を重ねるごとに体の自由が少しづつ奪われ、同じ程度の忙しさでも、負担が大きくなります。4年ほど前に脊柱管狭窄症で手術した部位に細菌が取り付き、入院せざるをえませんでした。一月半ほどの入院で退院できましたが、細菌が取り付いた椎間板はすっかり破壊され、椎骨がくっつき二つが一つになってしまいました。それがきっかけになった訳ではありませんがブログを書く気にはなかなかなれませんでした。それ以降大学時代の友人とも疎遠になり、自分を解放する場所がなくなると、自然とブログを始めたくなるようです。今後は折に触れ、書き込むことにしたいと思っています。

大阪出張~環境問題とは倫理の問題?

仕事は40人ほどの人たちと議論し、環境にかんする理解を深 めることだ。はじめに6~7人のグループで、関心のある環境問題について話し合ってもらい、その内容を代表者が発表し、全員で討議する方式をとった。議論 していると、代表者の意見の多くは環境問題を解決するには個々人の倫理観の育成が最も重要と考えているようだ。

たとえばゴミ問題では、ゴミの量を減らす、地球温暖化問題では電気や石油ストーブなど燃料や車のガソリン消費を減らす、などの倫理観を学校教育、社会人教育で身につけさせる必要がある、と考えているのだ。

おそらく、ほとんどの人たちに環境問題の解決法を問えば、同じような答えが返ってくるように思う。現在の環境問題は、我々の普通の生活が環境破壊 につながることを報道や教育で知っているからだろう。われわれ自身が環境に「いいこと」をすことがひいては全体の環境問題を改善することにつながると考え ているからだ。そういった意味では教育・広報宣伝の結果としての倫理観の育成や教育はすでに十分行われているといえるだろう。
しかし、ほとんどの人がそのように考えているにも関わらず、ゴミ問題や地球温暖化の問題は、いまだ解決を見ていないし、地球温暖化問題では政府間交渉もままならない状況が続いている。なぜか?

 

わかっているけれども、できないのだ。やろうとする誘因、 きっかけがないのだ。だから、特に制約がなければ普通にゴミを出し、ゴミ問題が大変だと言われれば少しは削減しようと考える。一方、ガソリンや電力の問題 も、特に指示されていなければ、自己の経済的範囲で使用しているが、電力不足 で大変だから「みなさん節電しましょう」といわれれば、その範囲で協力しようとする。これは「生活の倫理」ともいうべき倫理なのだ。

また、もうひとつの倫理もある。それは、個人にぎりぎりの選択が迫られた時、たとえば、召集令状が来て出兵し、死を覚悟の突撃を命じられた時、避 けられない自分の死が「類の生」につながると覚悟して突撃する時の倫理である。これは、おそらく、生命が誕生し、自然界から己を細胞膜で隔離したとき、必然 的に背負ってしまったDNAの記憶で、「生存の倫理」ともいうべき倫理なのかもしれない。

この2つの倫理のうち、「生存の倫理」はだれもが生まれたときからDNAに組み込まれた倫理で変えることのできない絶対的な倫理だが、「生活の倫理」は個々人が経済活動を行っている範囲でもちうる相対的な倫理だ。

おそらく、環境問題では「生存の倫理」の選択を迫る状況にはなかなかなりにくい。自分の行動でゴミを多少多く出たとしても、多少地球温暖化に動い たとしても、類の滅亡にいたる姿は見えてこない。そのため、普通の生活の範囲で環境問題を考えるとき、個々人の判断基準は「生活の倫理」に基づくものにな る。しかし、このばらばらな誘因のない「生活の倫理」に頼っても環境問題の解決に至ることはありえそうもない。

環境問題は、まず、工場な どの事業者がばい煙などを排出し、住民に被害を与える図を原型として考えるとよく見えてくる。なんの規制もなく生産活動を行う自由市場経済の場合、企業は 自己の利益の損益分岐点まで生産を行う。一方、市民は工場のばい煙の影響で肺などを患い病院にかかったとしよう。このとき、病院に係る費用や、これが原因 で休業した場合の費用は、患った市民の自己負担となる。結局、工場稼働による利益の一部は市民の健康を犠牲にして得られているのだ。しかしこの費用は企業 では顧みられることはない。これは経済学的には外部不経済といわれるものだ。市場の外部で発生した費用で「市場の失敗」によってもたらされたものである。 これは倫理の問題ではなく、明らかに経済上の問題だ。

最近の環境問題、ゴミや地球温暖化などの問題では、今までの環境問題と違う側面が出 てきている。排出者の中心は市民自体なのだ。さらに地球環境問題ではもう一つの面が付け加わる。排出による影響が数十年~数百年に至るタイムラグを生じ、 空間的にも地球全域におよび、排出者が直接的に自分の影響として認識するには分かりにくい構造をもつことだ。

一見、排出者が市民自体であ ることから、環境問題の原型が崩れたように見えるし拡張された時空間でわかりにくくなっているが、排出者がいて、その影響をうける者がいる。この両者の間 には、排出者は利益を受け、影響を受ける者は損失を受ける利害関係が発生している。なんら原型と異ならない構造をもっているのだ。

受益者はその影響である損失を支払う経済的責務がある。なぜなら、その影響は元来生産コストのはずだからである。生産コストをただ乗りしてほくそ笑んでいるわけにはいかないのだ。そしてその生産コストは市場を通して、市民である消費者や生産者が負担することになる。

実際にゴミを処理するには相当なコストが支払われている。平成19年度の小金井市の場合総額で30億円弱で一人当たり年間2万5千円程度になるそうだ。こ れは税金から支払われているのだが、税金は給料の天引きであまり意識がない。この金額を「見える化」してゴミの有料化が進めば、ゴミを減らす誘因にもなり 効果的な対策となる。(そのかわり、徴収しているゴミの税金分は徴収をやめる必要がある。)また、地球温暖化を止める必要があるならば、輩出するCO2に コストを支払う構造が必要となる。いわゆる炭素税だ。細かい話は省略するがCO2削減に必要な炭素税は、私の計算やノードハウスの計算では7~25ドル /1tCとなった。ガソリン1Lあたり0.3~1.5円程度の額となる。

以上、環境問題は交換経済の中で生じている限りにおいて倫理の問題ではなく、経済問題である。

最後に端折った感があるが、とりあえずここまで

参考として以下に小金井市のごみ処理経費を掲載する。これは次のURLより転記したものだ。http://gomizero.net/cost.html

小金井市のごみ処理経費

経費内訳 平成17年度 平成18年度 平成19年度
燃やすごみ処理経費 5億197万9千円 4億7380万5千円 9億2537万9千円
燃やすごみ収集運搬費 1億1618万6千円 2億1260万4千円 3億3385万4千円
6億1816万5千円 6億8640万9千円 12億5923万3千円
焼却灰処理費用 3億超? 3億3860万3千円 3億超?
ごみ処理費用総額 19億4648万2千円 21億8777万6千円 28億158万8千円
ごみ処理費用総額/人 1万7千円 1万9千円 2万5千円

大阪出張

出張中に倒れた4月以来の出張だ。ANAで関空につき、乗り換えがやっかいなので、リムジンバスで、第一ホテル(マルビ ル)まで一気に行ってしまう。ちょっとチェックインには早すぎたので、荷物を預け、とりあえず1階のスタバで休憩、「サラダラップ、イングリッシュマフィ ンソーセージ&オムレツ」+スターバックスラテ合わせて1000円弱、結構な値段だ。コーヒーも種類が多く、「こだわり」の現代には適合しているのかもしれないが、私には何が何だか分からない。学生の頃よく喫茶店にいったが、あの頃は単純で、コーヒーというと「あったかいやつ」と「つめたいやつ」ということぐらいしかなかったように思う。まあ、しょうがないか。

時間がまだあるので、梅田の地下街の探索に出かけた。元気な時なら、大阪城や難波などに向かうところだが、歩きすぎると足が重くなるので、翌日の仕事のことも考え、近場で時を過ごすことにした。

第 一ホテル(マルビルというらしい)の地下2階が梅田地下街と接続していて、大阪駅方面の矢印を目当てに進む。阪神梅田駅の入口を左に見ながらさらに進む と、階段があり、上って少し進むともう大阪駅だ。向かって右側の大丸に入り、エスカレータで2階に上り、休憩所を探して回りをみると、宝石売り場の奥の窓 際に四角い大きな腰かけがあり数人が座っている。そこで座って携帯パソコンを出し、光リンクで接続して、今いる場所を確認。近くにヨドバシカメラがあるの で、そこに向かう。駅舎の反対側にあるので、駅舎を越え右に折れて地上に降り、歩道を渡って、ヨドバシカメラに到着。大阪に来てなんでヨドバシカメラなん だ、と思いながら入る。1階は携帯電話とパソコン売り場があり、いろいろ最近の傾向をみてあるく。そそそろ2時になるのでチェックインすることにした。帰 りに地下に入ったら、方向が分からなくなり、あとから考えると御堂筋を南下したようで、筋違いで、迷ってしまった。梅田地下街は迷路のように入り組んでい て、知らない土地の地下には入らないのが良いかもしれない。地上に出て、あたりを見回すと、ちょっと離れた後ろに第一ホテルの丸いビルが少し顔を出してい て、そこを目当てに進んだ。およそ1時間半ほどの時間つぶしだった。

『真実を口にすると世界は凍る』〜法務大臣辞任と国境問題

最近、気になったことが2つほどある。どちらも「真実を口にすると世界は凍る」といった思想家の言葉のとおり、「真実」を口にして首をきられた政 治家や、「真実」を口にすると世界を凍らせてしまうので、「真実」を言えない評論家やコメンテータあるいはニュース解説者と称する者たちのことである。

民主党の法務大臣は、講演会で「法務大臣は、『個別の事案についてはお答えを差し控えます』『法と証拠に基づいて適切にやっております』の2つだ け覚えておけばよい。」というようなことをといって、自民党やその他の野党の「国会軽視だ」という批判や、TVニュースなどの「政治家にあるまじき行い」といった批判の下、結局は管総理に首を切られた。しかし、考えてみれば、今までの自民党の法務大臣などは、何度も国会で彼のような回答をなんども行っていたことからも、自民党が「国会軽視だ」という根拠などどこにもない。ばかな大臣というものは、国会で回答ができるわけもなく、なんとか切り抜ける方策を官僚が考え、これだけ覚えておいてくださいとでもいっていたことを、公にばらしたのだから、自民党などは今までの大臣の権威が大きく損なわれるから問題にしたくなるのも分からなくはない。これこそ、「本当のことを口にして、世界が凍りつき」、首を切られたいい例ともいえる。

また、中国との尖閣列島や韓国との竹島問題、ロシアとの北方領土など国境の問題では、国境の論拠としては、中国や韓国と日本の「日本古来の領土」という考え方と、ロシアの 「現在の支配権の及ぶところが国境」という2つの考え方に集約されそうだ。尖閣列島の問題は、日本も中国、韓国も「日本古来の」「中国古来の」のいう言葉で、自国の領土であると主張している。しかし、「古来」とはいったい何なのだろうか。だれもこの疑問を投げつけていない。それぞれの都合で、ある時代をきりとっ て、この時代から中国のものとか日本のものとかいっているが、もう少しさかのぼれば果たして誰のものなのであろうか。結局、自分の都合に合わせて歴史を切 り取り、「古来」とか「元来」と言っているにすぎない。戦争で決着されることができないとすれば、最終的な決着は限りなく「国境をぼかせる」あるいは「共 有する」ことでしか解決できるわけもなく、そろそろ本当のことを言って、決着の手段を協議始めるほうがいいのではないのか。ところが、すべての報道機関は 「日本古来の領土」として、中国、韓国を侵略者とみなしているし、中国、韓国は「中国(韓国)古来の領土」として、すきあれば、自国の領土として組み入れようとしている。

一 方、ロシアは「現実の政権の及ぶところ」を国境としているため、「古来」「元来」などという言葉は通用しない。過去の歴史を見ていれば、このようなロシア の主張はもっともなことと言わざるを得ない。古来に根拠がないとすれば、国境付近の住民が「我々はXX(日本、ロシアあるいは独立)の方がいい」とでも言 わない限り、現在の権益を維持するほか国境の根拠はないからだ。しかし、このロシアとの国境問題にしても、いずれ自由に行き来して国などを意識することの ない社会に向かって、何をするべきなのかを考える時期なのかもしれない。

TVの解説やコメンテータと称するものたちは、誰もこのことには触れないようとしていない。国家の基本にかかわることは、タブーであり、それゆえ、「本当のことを口にすれば世界が凍る」ことになるからなのだろう。