サンティアゴとジャカルタで二つの勘違いがあった。一つは小泉純一郎首相と胡錦涛国家主席の間のやりとりで、胡国家主席「現在の中日政治関係で出現している困難は、日本の指導者が靖国神社に参拝していることだ」と述べたことである。もう一つは石原慎太郎都知事と張茅・北京副市長の間のやりとりで、石原都知事が「中国は(地球温暖化防止の)京都議定書に加盟していない」「東京が大気汚染防止に積極的に取り組んだから政府が動いた」 といった発言である。
この二つの発言はちょうど裏返しの構造にあって、同時にこのような発言があったことに興味をもった。
胡錦涛の発言は中国が個人の思想・宗教よりも上位に国家意志がある全体主義の段階であることの証である。以前この「瘋癲老人のつぶやき」にも書いたが、小泉純一郎は「日本は個人の思想・宗教の自由が認められる社会で、私個人の自由意志で靖国神社に参拝している」と国家の段階の違いを明確にいうべきである。
また、石原慎太郎の発言は逆に中国では国家意思に反して地方の意志が表出できる段階に無いことを無視し、あたかも自分が国家意思を形成させたようにいっているが、これは個人の意志が国家の意思に反映させうる段階に至った日本の状況においてのことである。結局この発言は、石原慎太郎が日本にいるからできるということの自覚も無くなされたもので、彼が自己相対化できていないことを示しているにすぎない。このようなご都合主義の人間は、中国にいたなら、中国政府の方針を忠実に守って発言するにきまっており、いかにこの発言が無責任かを示している。