BS-Hivision の「史上空前の論文捏造」を見た。NHK の村松秀の作品だ。よくできているが、結局、ベル研究所という特殊な知的閉鎖社会で起きた出来事で、若き学者が 「論文捏造」してスター学者となり、将来は物理学を背負っていく存在として嘱望されたが、「捏造」がばれて、果てに破滅(今、中小企業で働いていて破滅と いうにはちょっと違う気がする)していく、という特殊な世界の物語に仕立てている。そして、それを許してしまう原因は、学会のなかの研究者すべてにあり、 「捏造」論文の追試をした研究者はその論文と同じ結果が得られなかったが、共同研究者があまりに著名で、よもや誤りはあるまい、と考え、結果が違ったのは 自分の未熟さのせいだ、と考えたことにある、として、学会などの研究者の権威に弱い体質を暴露しており、痛快ではある。さらに、その責任は、個人は当然と しても、著名な共同研究者も負わなければならないとさりげなくいっている。この最後の原因論や責任論には異存はない。
もう少し私なりに読みこなせば、この 作品では2つの側面が見えてくるといっているようにみえる。一つはだます側の心理構造ともう一つはだまされる側の心理構造だ。だます側の心理構造は成果を 期待され、それに答えなければならないという強迫観念に迫られていることだといっており、だまされる側の心理構造は、権威にあこがれているために、逆に権 威を信じ込んでしまう心理構造を無意識のうちにもっていることだといっているように思える。しかし、この2つは根っこは同じで、自己の欲求が強大な権威と いう権力構造のもとで、逆転した構造を持ち、強迫的な「能動性」として表現されれば「捏造」という形態で現われ、無意識な「受動性」として表現されれば 「権威を信じる」という構造をもつと考えればよりスッキリした構造になる。
このような出来事は新聞や世間一般でもでよく出くわす。例えば、新聞 レベルでは、売り上げ至上主義の会社でトップセールスの社員が営業成績を捏造する(私が以前いた会社でもあった)粉飾売り上げ計上やエンロンの不正経理な どもこの部類と考えていいだろう。また、個人レベルでは、親から期待され塾通いの子どもが悪い成績を親に隠し、良い成績だけを見せるのも同じ心理構造だと いえる。結局、似ているような価値観を持ち、似ている環境に置かれれば、ある程度同じようなことが起こると考えた方がいいのかもしれない。
高度な学問分野 で起こった出来事だから一見別物のように見えるが、心理構造は一般社会におけるものと全く同じと考えてもよさそうだ。だとすると、この問題は我々の社会の もつ共通の病巣といえそうだ。このTV番組はこの入り口まで来ていたが、残念ながら、社会の病巣に底通する価値観の場面までもっていくことはできなかっ た。それは、この作品を構成した作者が知的できごとと、一般社会的なできごとを無意識のうちに区別する構造をもっており、さらにいえば、知的領域に特別な 価値観(逆向きの価値観かもしれないが)を持っていることの現われのように思える。