友人Nからメッセージが届いた。森川義信の詩「勾配」(以下に掲載)についてのコメントであった。その中に誰が書いたかわからないが、次のような一文(以下「解説文」)があった。
1939年に書かれた「勾配」では、「太陽も海も信ずるに足りない」とき、もはや、個/孤の底に向かって、階段/勾配を「おりて」いくことしか残されていない。向かい合うものは己しかない。と詠う。
Nからのメール
非望のきはみ
非望のいのち
はげしく一つのものに向かって
誰がこの階段をおりていったか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるやうに悲風はつんざき
季節はすでに終わりであった
たかだかと欲望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼し
光彩の地平をもちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆえにここまで来たのか
だがみよ
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまってゐるのだ
詩や文学作品は作者自身の過去や執筆時点の固有時空からの表出とはかかわりなしに読者の固有時空が存在するから、さまざまな解釈が成り立ちうる。ただ、その「作品」が優れているかどうかは多くの人の共感時空(固有時空の普遍性)が持ちえるかどうかだ。共感時空はすべての人で同じわけではない。しかし、表出された「作品」が各個人の固有時空と共鳴するわけだから、共感時空が存在しえるとすれば、それぞれに共鳴することができること、すなわち様々な解釈が成立すること以外ないことになる。それが、「作品」の普遍性であり、優れた「作品」には解釈の多様性が成立するということだ。だから「解説文」の解釈と私の解釈が違っていても特段問題があるわけではない。しかし、この森川義信は私の好きな詩人のひとりだから、特に「解説文」の解釈には異和を感じてしまう。詩人は誰でも「太陽も海も信ずるに足り」ようと「足りな」かろうと個への階段を言葉と出会うために降りていかなければならない。だとすると「解説文」の言う階段は詩人にとって当たり前の階段だということになる。そのような階段をわざわざ表出する必要などありはしない。おそらくそうではない。「非望」の階段なのだ。自分と国家・社会や他人あるいは自分自身との関係性が強いてくる「非望の階段」なのだ。「希望」も「絶望」も超えた「あきらめ」にも近い心境の中で、人間としての理解や意志を放棄して生命の根源に近いところまで降りていく階段なのだ。それは人としての「死」を意味し、その境界に立った時、「かきむしるやうに悲風はつんざき、季節はすでに終りであつた」のだ。その地点から「人」であった自分を見た時「たかだかと欲望の精神に、はたして時は、噴水や花を象眼し、光彩の地平をもちあげたか、清純なものばかりを打ちくだいて、なにゆえにここまで来たのか」とうつむきかげんに自問している。しかし、(階段から遠くを望めば)そこには「きびしく勾配に根をささへ、ふとした流れの凹みから雑草のかげから、いくつもの道ははじまつてゐるのだ」と終わる。「非望の階段」のつきるところには、理解や意思もない植物が、ただ、厳しい自然にさらされながら、ひたすら「なされるままにすべてを受け入れ」生きている姿があった。「豊かな大地に深く根をおろし、太陽の輝く大空にむかってそのからだをまっすぐに伸ばしたその姿は」たくましくもあり、力強くもある。そのような生き方こそ生命の基本的な生き方であり、その地点から何かが始まるかもしれない、といっているようように思える。「非望」の末にたどり着いた地平である。そして彼は1942年ビルマの戦地で狂って眠ったという。わずか25歳の命であった
一般に植物は、太陽の光のもとで空からの雨、大地の無機物そして空気中の炭酸ガスをもとに、自らに持つ葉緑素の力でからだを造ってゆく、これらの素材は、考えてみれば、自然を構成する地・水・火・風のすべてにそれぞれ由来したもので、いずれも一部の地域を除いて、この地球上にあまねく存在する。こうした合成能力を持つ植物たちは、いわば居ながらにして己のからだを養っていくことが出来る。豊かな大地に深く根をおろし、太陽の輝く大空にむかってそのからだをまっすぐに伸ばしたその姿は、こうした食の形態を端的に象徴するものといえよう。
三木成夫『生命形態の自然誌』うぶすな書院、1989