• さようなら! 太陽も海も信ずるに足りない

Nとの対話~新型コロナ禍の大学生事情

N:
 youtubeを見ていたら、FNNプライムオンラインで、コロナで奪われた日常。孤独と向き合う大学生の姿を取材した。というのがありました。美大生がSNSに投稿した漫画で、大学のオンライン授業の毎日が、批判的につづられています。びっくりしたのは、40万の“いいね”がついていることです。思い返すと、私たちも全学ストやロックアウトで、大学に行ってませんが、こんな話しはなかったように思います。なぜこんな差ができたのでしょうか。時代の順番が逆の様な気がします。

瘋癲老人:
 学校は基本的には経済活動の一環です。経済の変化が学校や授業に対する個人の意識に大きく影響するように思います。我々の大学時代の経済環境は第三次産業が50%を超えたとはいえ第二次産業も輸出を中心に拡大していました。とにかく生産すれば売れる環境だったといえます。ですから失業率も低く、それまで続けてきた終身雇用が継続されていてほとんどの人が成績に関係なく就職でき、安心して働ける環境があったため、就職など気にせずに遊び(余計なことを考えること)に熱中していても何の不安感もなければ特段の問題もなかったように思います。
 現在の経済環境は物を作ったからといって売れるとは限らず、一方多少のアイデア一つでバカ売れすることもあります。経済が物中心からイメージ中心に大きく変化してきたように思います。この変化によって企業は売れるものをもとめ、旧態然とした安定した生産活動が維持できなくなり、より新しいイメージの製品を提供することに奔走しはじめました。この企業の変化が雇用環境の変化として現れ、それまでの終身雇用形態の賃金構成から成果主義の賃金構成に変化してきました。学生にとってこの変化は一見よさそうに見えますが、就職活動時に学業でもその成果(成績)やその他語学力、表現力など多岐にわたる指標で評価されるようになったようにおもいます。このため、学生は会社など社会の評価を気にしてよりよい評価を得るために奔走する結果となり、自分でじっくり考える時間を失っているように思います。
 評価ばかり気にすると自分の「自由」が失われ、何かで評価が下がると自分の生きる道がなくなるような錯覚に陥る場合があります。本当は自分の「自由な表現」が結果として社会の「評価」につながる(つながらなくてもいい)社会が理想だと思うのですが、現在は転倒した構造になっているように思います。

N:
 私が感じた疑問は、今の方が自由なんじゃないの、だったのですがあなたの指摘でスッキリしました。時代の順番が逆というのも、あなたの言うように、「現在は転倒した構造になっている」のですね。
 吉本隆明に「内あそび、軒あそび、外あそび」というのがありました。乳幼児期の発達段階で、今は、保育園・幼稚園と行くので、軒あそびがなくなっている。また、芹沢俊介は学生に「モラトリアム」がなくなっている、と言ってました。今の方が、自由と言うか、余裕がなくなっているようです。「若竹荘」(学生)時代は古き良き伝説になったのですね。

瘋癲老人:
 今後どのように変化していくかはわかりませんが、私たちの学生時代は今よりは楽な生活を送っていたように思います。

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