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二度の入院で感じたこと~「意志」と「身体反応」

 2020年7月からの半年間に2度の入院を経験した。1度目はPSA検査で数値が少し高かったのと頻尿で夜何度もトイレに起きるため、前立腺の検査でもした方がいいとおもい、生検をするための入院で、2度目は排便時に鮮血が1か月ほど続き、検査の結果いぼ痔が3個あることが分かり、手術のための入院だった。なんとも下の問題ばかりでいささかいやになったのだが、不快感を解消するためにはやむをえない入院だった。生検や手術の前に局部麻酔をうたれ、下半身が麻痺した状態での施術だった。終わって部屋に戻っても下半身が麻痺していて不思議な体験だった。足を動かそうと意志しても全く動かず感覚がない。数時間するとつま先が動くようになり、その後棒のようではあったが足全体を少し上げ下げできるようになった。そして膝が曲がるようになり、感覚が戻ってきた。脳の命ずる「意志」と「身体反応」が“ずれ”を起こしている状態となっていた。この状態は「臨死体験」に似ているのかもしれない。自分の動かない肉体を上から眺めていて、「脳の反応」と「身体反応」に“ずれ”が起きている状態が似ているように思われる。また赤ん坊のときを考えると、一生懸命に何かをつかもうとするが手が意志どうりに動かず、「脳の働き」と「身体反応」とに”ずれ”が生じている状態にも似ている。このように考えると、まさに「誕生」と「死」にかかわる現象だといえなくもない。

 ベッドで寝ながら3月20日に予定されている講演「現代の諸問題を哲学する~精神の発達史」(リンク先にビデオ)のために読んでいたヘーゲルの『精神現象学』に次の一節があり、「意志」と「身体反応」とに関係がありそうなので書き留めておいた。

自然のままの生活しかない動植物は、自分のありのままの存在を自分の力で超えることができず、他の動植物に超えられるばかりで、超えられたときは八つ裂きにされて死んでいる。だが、意識は自分の本当のすがたを自覚しているから、限定つきの存在をみずから超えていく。そして、限定つきの存在も意識に属するものだから、意識は自分自身を超えていくといえる。

長谷川宏訳『精神現象学 ヘーゲル』作品社,1998

 人間は他の動植物に比べ未熟に生まれるため、脳と身体の“ずれ”が生じ、これを超えようとして、人間の意識を生み出したと考えることができる。また、臨死体験においては、死を超えようとする意識が身体との”ずれ”を生じさせたとも考えられる。このような意識が無限にみずから超えていくとき、再びどこかで現実との矛盾の世界に触れていくはずだが、観念の世界の中に現実があると考えるヘーゲルは「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。」ととらえているため矛盾は消化されてしまう。しかし、ヘーゲルの影響を受けたマルクスはこの矛盾を「現実的なもの」と「観念的なもの」との関係性の「疎外」と考え論理化した。

 結局、私の感じた意志と身体の“ずれ”は「疎外」を麻酔によって意識したものといえそうだ。

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