• さようなら! 太陽も海も信ずるに足りない

Nとの対話~「自然」と「実践的意志」

N:

お盆が休みが終わります。
お変わりありませんか。
私は何とか凌いでいます。

 この時期は戦争追悼の季節でもあります。76回目ですか。youtubeにもいろいろな話しが上がっていました。情報公開が進んだからなのか、皆がステイホームで研究に励んだからなのか、新しい事実が提出されて興味は尽きません。ついでに、オリンピックが終わりました。(パラリンピックがまだですが)私、結局オリンピック関係、何にも見ませんでした。youtubeに競技の動画はほとんどありませんでした。権利関係が厳しく、アップできなかったのでしょうか。私も積極的に探しませんでしたが。

 桑田佳祐が国立競技場をバックに歌う、「SMILE?晴れ渡る空のように?」民放公式スペシャルムービー(民放共同企画“一緒にやろう”応援ソング)はよくありました。歌詞と言い、どう見たって、オリピック応援ソングですが、説明を見てもオリンピックという言葉がありません。民放の苦しい立場を示しているようです。歌は聞いてみますと、歌詞も含め、結構良かったです。サビの、「栄光に満ちた孤独なHERO夢追う人達の歌」はイイと思いました。ちょっと元気が出るような感じです。いろいろありましたが桑田佳祐の才能ですね。

 私、中二の時の東京オリンピックでは、その時、親がとってくれていた、旺文社の学習雑誌かなにかの付録に付いていた、結果を記録するためのメモ帳に、全結果を付箋までつけて書き込みました。(家にあるはずです)あのころは、単純に楽しんでいました。NHK紅白歌合戦もそうです。小学生までは、家族と一緒に見ていました。

ちょっと、感傷にふけってしまいました。

瘋癲老人:

私は相変わらずぶらぶらしています。

 日本ではこのところコロナウィルス感染者が急激に増えてきており、なるべく出かけるなと国も都も声高に言い続けています。しかし、東京オリンピックは実施しましたし、パラリンピックも実施しそうです。そりゃ、20代頃を振り返ってみればわかることですが、もともと騒ぐことで共生感を持ちたい若者たちは、なんにでもかこつけて騒ぐに決まっていますから、「出るな、家でTVでもみろ」といっても無理に決まっています。また、中高年だって会社帰りに一杯やりながら、スポーツ談義などしたくなるのもストレス解消の一つでしょうから止まりません。そんなわけで感染者は過去最大を更新し続けいます。

 私は年のせいかやっぱりまだ死にたくもないし、苦しみたくもないので、昼は図書館でネット予約の受取や返却のためや、病院通いのために外出する程度です。最近は足腰が弱っていくのがよくわかりますから、早朝5時くらいから近くを散歩して鍛えようとしています。

 日が昇り始めた、誰もいない都会のビル群を眺めながら歩いていると、非常に落ち着いてきます。丁度新緑の森林や蓬生色の芝生の上を歩いているような錯覚をおぼえます。考えてみるとそれは当然なのかもしれません。自然としての人間が物理的に作り出す物も(当然、ここには意志が働きますがとりあえず無視すれば)自然というほかないように思います。人間がそこに価値を見だすからそれはビルであり、建物になるだけです。だから熊さんだって、鹿さんだって(この付近でもハクビシンが時々でますが)堂々と都会を歩き回るのも当然といえます。

 もう少し拡張して考えれば、植物や生命の起源かもしれないメタン菌などは地球上にない酸素やメタンを合成排出して地球環境を変えてきました。人間由来の地球温暖化物質、二酸化炭素やメタンなどは人為的物質として自然と区別されてきましたが、広い意味での「自然」と考えたほうがいいように思われます。人間は自然から自由になるため都市をつくり、化学物質を作ってきました。これら人為的物質を含む「自然」からも自由になるために、無限に実践的意志を積み重ね「自然」を超え続けていくことが必要になるようにおもわれます。

 人為的な物質を含める「自然」という視点を外して、いわゆる自然の変更可能性に対する視点は以前からありました。たとえば、宮沢賢治の童話作品『グスコーブドリの伝記』がその一つです。この作品の宗教的(法華経的)な自己犠牲的側面を捨象すれば、人間の実践的意志をもって自然を変更できる、あるいは超えることができるという賢治の科学者的視点を最終章「九 カルボナール島」にみてとれます。

 そしてちょうどブドリが二十七の年でした。どうもあの恐ろしい寒い気候がまた来るような模様でした。測候所では、太陽の調子や北のほうの海の氷の様子から、その年の二月にみんなへそれを予報しました。それが一足ずつだんだんほんとうになって、こぶしの花が咲かなかったり、五月に十日もみぞれが降ったりしますと、みんなはもうこの前の凶作を思い出して、生きたそらもありませんでした。クーボー大博士も、たびたび気象や農業の技師たちと相談したり、意見を新聞へ出したりしましたが、やっぱりこの激しい寒さだけはどうともできないようすでした。 ・・・・

「先生、気層のなかに炭酸ガスがふえて来れば暖かくなるのですか。」
「それはなるだろう。地球ができてからいままでの気温は、たいてい空気中の炭酸ガスの量できまっていたと言われるくらいだからね。」
「カルボナード火山島が、いま爆発したら、この気候を変えるくらいの炭酸ガスをくでしょうか。」
「それは僕も計算した。あれがいま爆発すれば、ガスはすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度ぐらい暖かくするだろうと思う。」
「先生、あれを今すぐ噴かせられないでしょうか。」
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね。」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない。」
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
「その相談は僕はいかん。ペンネン技師に話したまえ。」
 ブドリは帰って来て、ペンネン技師に相談しました。技師はうなずきました。
「それはいい。けれども僕がやろう。僕はことしもう六十三なのだ。ここで死ぬなら全く本望というものだ。」
「先生、けれどもこの仕事はまだあんまり不確かです。一ぺんうまく爆発してもまもなくガスが雨にとられてしまうかもしれませんし、また何もかも思ったとおりいかないかもしれません。先生が今度おいでになってしまっては、あとなんともくふうがつかなくなると存じます。」
 老技師はだまって首をたれてしまいました。
 それから三日の後、火山局の船が、カルボナード島へ急いで行きました。そこへいくつものやぐらは建ち、電線は連結されました。
 すっかりしたくができると、ブドリはみんなを船で帰してしまって、じぶんは一人島に残りました。そしてその次の日、イーハトーヴの人たちは、青ぞらが緑いろに濁り、日や月があかがねいろになったのを見ました。
 けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。

青空文庫版 宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』より

 夜は9時に寝ています。TVはニュース以外ほとんど見ません。ですからオリンピックを生では見ていません。日本の選手が金メダルを取ってすごいなと思う程度です。昼間はAmazonのPrime Videoで外国のTVドラマをみています。もともと推理ものが好きだったので、「刑事モース」「ブラウン神父」「NCIS」「ミステリーin パラダイス」「ニュー・トリックス」「ミス・マープル」などシリーズ物でおもしろいと思うものを見ています。

 私の父母はすでに亡くなり、友人たちも亡くなり始めていますから、何かのきっかけで感傷的になってしまいます。年をとると想い出は死者の影を伴ってやってくるようです。これからは、このようなことが多くなっていくように思います。

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