「テセウスの船」の問いかけるもの

 現在放映されているTVドラマに「テセウスの船」というものがある。ドラマの内容には興味がなかったが、題名に引き寄せられた。以前にも「ウロボロスの蛇」というエジプト神話に誰かの宇宙論の本を読んでいるとき出会い興味をもった。わからないことに出会うと知りたくなるのが人情というものだろう。ウィキペディアには次のように書かれてあった。

 “テセウスの船”はパラドックスの1つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体の全ての構成要素が置き換えられたとき、基本的に同じであると言える(同一性=アイデンティティ)のか、という問題である。

 もともとは1~2世紀の自然哲学者プルタコスが禅問答のような次の問題を提起したのが始まりらしい。

 ギリシャ神話のテセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウスの時代(紀元前317~307年)にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていって、全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのか

 さらに、この問題はパラドクスとしてとぎのような問題へ発展したという。

 置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのか

 この問題を生命の問題から迫った物理学者がいた。シュレディンガーである。彼は『生命とは何か』(岩波文庫)で次のように述べている。

 生きている生物体はどのようにして崩壊するのを免れているのでしょうか?わかりきった答をするなら、ものを食べたり、飲んだり、呼吸をしたり、(植物の場合には)同化作用をすることによって、と答えられます。学術上の言葉は物質代謝(メタボリズム)といいます。

シュレディンガー『生命とは何か』岩波書店,2008

 

 このことを物理的な問題として「エントロピー」という熱力学的概念を使って説明している。

 自然界で進行しているありとあらゆることは、世界の中のそれが進行している部分のエントロピーが増大していることを意味しています。したがって生きている生物体は絶えずそのエントロピーを増大しています。そしてそのようにして、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいてゆく傾向があります。生物がそのような状態にならないようにする、すなわち生きているための唯一の方法は、周囲の環境から負エントロピーを絶えずとり入れることです。

シュレディンガー『生命とは何か』岩波書店,2008

 

すなわち生命もまた「テセウスの船」であるということだ。
 NHKBS1の「最後の講義~生物学者福島伸一」でも類似したことをいっている。

 1年前の私と今日の私とはほぼ別人になっている。物質レベルではほぼ入れ替わっている。自分の身体は個体だと思っているけれども流体なわけです。

福島伸一「最後の講義~生物学者福島伸一」NHKBS1,2018

 

 福島は「エントロピー増大の法則」に反し入と出のエントロピーをある一定の範囲に保つことを「動的平衡」といっているわけだ。さらに「動的平衡」を維持しているものを「記憶の構造」から説明している。

 どんどん入れ替わっていたらいろんなものが失われてしまうんじゃないか。記憶というのは脳の中にビデオテープのように保存されていてそれが読みだされているのではなくて、ニューロン、神経細胞の回路網として保存されていてそこに電気が通るとある記憶がよみがえる。

福島伸一「最後の講義~生物学者福島伸一」NHKBS1,2018

 この神経細胞の回路網とはもう少し一般化していってしまえば、「平衡」を維持しているのは入と出の「関係性」であるといっているのである。「テセウスの船」の問題で言えば「朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていって、全部の部品が置き換えられた」わけだが、置き換えられた船の素材である木材相互の関係性(空間性)は変っていないのだから「テセウスの船」といえる。しかし歴史性(時間性)の視点からは「新たな木材に(すべて)置き換えられた」船は明らかに「テセウスの船」ではない。結局「船」を重視するか「テセウス」を重視するかという観点の相違であり、どちらの船も「テセウスの船」といえることになる。
「テセウスの船」の論理を観念の世界に拡張したらどうなるのだろうか。埴谷雄高は観念の世界において同一性にたいして独自の見解をもっていた。

 “自同律の不快”というのは絶えず満たされない魂を持っていて、満たされよう、満たされようと思って絶えず満たされる方向へ向かっていく。これがぼくの宇宙の原理なんです。その満たされざる魂を持っているのが宇宙の原理だけどね、ぼくもある意味でヘーゲル的なんですね。

埴谷雄高、立花隆『無限の相のもとに』平凡社,1997

 

 彼の言葉で「自同律の不快」は有名だが、「満たされざる魂」があるから「“私は私である”という自同律(同一性)に不快」を感じるのだ。この魂は「虚体」であり、実体の世界において成立するような、ある時間の空間的断面(関係性)を切り取る「動的平衡」は成立しないといっているように思える。まさに「動的非平衡」こそが人間の本質である。

Nとの対話~新年のあいさつ

瘋癲老人:

2020年になりました。もうすぐ70歳になります。人生も残りわずかです。Nと出会ってもう50年以上になります。あっという間ですね。

N:

サワディピーマイ
新年おめでとうございます。チェンマイでは午前0時に、花火が上がり、
部屋から見えます。去年の方が賑やかでした。
午後9時頃、蕎麦を茹でて食べた後、特にやることもなく起きていました。
そのあと、ブータンでもらったリキュールを飲みました。ポリープの件があったので、酒は止めていました。(医者から言われたわけではなく、自主的です)おととしの9月以来だったので、すぐに効いてきました。
今朝は、久しぶりに二日酔いです。あなたのメール見ました。本当に「あっという間」です。もうすぐということは、団塊の世代の最後の70台ですね。
寝ながらYouTubeで歌を聞いています。吉田拓郎の歌に、「欲しいものはなんですか」というのがあります。60年代に岡林信康は、「私たちの望むものは」と歌いました。
私たちの欲しかったものは、何だったんでしょうか。


流  星       吉田拓郎

たとえば僕が まちがっていても正直だった 悲しさがあるから
AhAhAh Wow Wow Wow流れて行く
静けさにまさる 強さは無くて言葉の中では何を 待てばいい
AhAhAh Wow Wow Wow流れて行く

たしかな事など 何も無くただひたすらに 君が好き
夢はまぶしく 木もれ陽透かす少女の黒髪 もどかしく

AhAhAh 君の欲しいものは何ですか君の欲しいものは何ですか

さりげない日々に つまずいた僕は星を数える 男になったよ
AhAhAh Wow Wow Wow流れて行く
遠い人からの 誘いはあでやかでだけど訪ねさまよう風にも 乗り遅れ
AhAhAh Wow Wow Wow流れて行く

心をどこか 忘れものただそれだけで つまはじき
幸福だとは 言わないが不幸ぶるのは がらじゃない

AhAhAh 君の欲しいものは何ですか君の欲しいものは何ですか

流れる星は 今がきれいでただそれだけに 悲しくて
流れる星は かすかに消える思い出なんか 残さないで

AhAhAh 君の欲しいものは何ですか
Wow Wow Wow 僕の欲しかったものは何ですか


瘋癲老人:

そうですね。今考えてみると、当時はN、SやM、H、K、KN、Yなどは私からみれば大人だったように思います。みんなしっかりと自立しているように思われました。私はといえば何も知らない田舎者でよちよち歩きの子どもでした。当時はみんなと同じように精神的に2本の足で立ちあがて歩くことが「欲しかった」もののように思います。拓郎の「流星」のように自分自身がよくわからないままみんなについていってたように思います。(今でもわかりませんが、わかりえないということがわかり、ついていける人などないことがわかったように思います。)

N:

吉田拓郎の歌は「流星」って言うんですね。
youtubeの「101st 02.10.30  Takuro Yoshida」というのを、聞き流していて気にとまりました。同じyoutubeに「吉田拓郎「流星」の誕生秘話!年月が経てば経つほど評価が上がると坂崎幸之助が絶賛」というのに、作ったいきさつが語られていました。
当然ですが、今私たちが思っているような普遍性はなく、ごく個人的な理由のようですが、自己表出と指示表出で、意味が広がって行ったんですね。
おもしろいな、と思いました。

瘋癲老人:

おもしろいですね。漱石や龍之介もそうですけれど、拓郎自身が意識しようとしまいと、個人的理由が言葉や音楽を介して表出した時、当時あるいは現在の人々の普遍性に触れていたということでしょうね。ヘーゲル的にいえば、表出するということは自己の内部から生まれながら外部に押し出(外化)され自己に対峙することです。これは自己矛盾であり、疎外ということになります。この外化が受け手側と対峙することで、もう一段疎外され、受け手側の内部に受入れられた時、表現者と受け手の間の共通性を獲得したことになります。そして、表現者の「こころ」の奥深いところが疎外されていればいるほど、一般(多く)の受け手に共感を呼び普遍性になる、ということなんでしょうね。だから、表現者と受け手とは異なる表層の「おもひ」を抱きながら深層の「こころ」は一致しているという奇妙な関係が成立するのでしょうね。

 

TVドラマにみる共同体と自立

 最近TVドラマを見て、感じることだが、共同体(会社や社会あるいは国家、宗教など)と個人との対立や孤立から自立して生きようとする姿が共通してみられるようにおもう。例えば「相棒」や「ドクターX」、「科捜研の女」そして「同期のさくら」など挙げればきりがない。なぜこのような現象が起きているのだろうか。
 我々は日常的に意識する、しないにかかわらず共同体(社会)からの抑圧に晒されている。このことは、よく引用される漱石の『草枕』の冒頭部分にうまく表現されている。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 このような状況の中で我々庶民のとりうる対応について漱石は次のように続ける。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 ここで漱石は共同体(社会)から逃れる場所はどこにもない、自己の観念の世界(詩や画)で超えていくほか方法はないといっているように思われる。
 当然ながら個人のいる場所が違うから超えていくための観念の表現方法もそれぞれ異なってくる。TVドラマの例でみると、「相棒」の警察組織(共同体)内では「共同体の規律」を守ることが重要だとされており、主人公の杉下右京は警察庁キャリアでありながら、彼の資質から「真実」を知りたい、という彼の理念(観念)を追求するあまり、いつも「共同体の利益」と齟齬(智に働けば角が立つ)が生じてしまう。そのため組織から切り捨てられそうになるが、彼の明晰な頭脳で「真実の追求」が「共同体の利益」につながるという理屈でぎりぎり切り抜けている。
 「科捜研の女」は京都府警の組織の中で犯罪を「科学・技術」的に立証する科捜研という特殊な共同体に所属している。榊マリコの事実を立証たいという個人的な意思(観念)は科捜研という仕事環境の中ではそれほど相反するものではない。だから組織から若干はみ出す(智に働けば角が立つ)ことはあても、相棒ほどの対立は見られない。
 「ドクターX」の大門未知子は「病院」という組織の外にいて、フリーランスという立場で、組織の統制からいつもはみ出して(智に働けば角が立つ)しまうが「私失敗しないので」という理念(観念)で自己の持つ医学に関する圧倒的な知識や手術に関する秀逸な技術を駆使して共同体の抑圧を乗り越えていく。抑圧する共同体も彼女の才能(観念)を認めざるを得ず、結果として医療現場で活躍することになる。
 「同期のさくら」の北野サクラは離島で生まれ育ち、そこで育まれた素直に表現するという性格により会社組織において自己の異和(離島の共同体の幻想を含む自己の観念)感を率直に表現(意地を通せば窮屈だ)してしまうことになり、どんどん問題児扱いとなり、出向さらには解雇まで至ってしまう。
 このように、自己と共同体の対立は元来本質的なものである。必ず共同体には規律(法律)があり、タブーがある。この規律やタブーは個人の観念に対するものである。このため、共同体に晒される個人は、「共同体に反する観念を持てば共同体から外されるのではないか」という恐怖感をもつことになる。この恐怖感を克服するには共同体に対峙する明確な自己の観念が必要であり、共同体に含まれながら、自己の観念は自立した世界をもつという矛盾した世界を内包する必要があるといえる。
 我々は社会の中で何らかの共同体に属し、その中で経済的にも観念的にも生きている。共同体にタブーや強制があるのは共同体の外側と共同体の内側を区別し共同体を維持するためで、決して共同体のなかの個人を守るためではない。極端な例をあげれば、戦争による死者は共同体の犠牲者であることはあきらかで、シモーヌ・ヴェイユの言を借りれば「戦争は自国民を殺すことだ。」ということになる。どんな証拠をあげても誰が戦争を起こしたかを調べても、国家という共同体が戦争をし、自国民を殺したことにはかわりはない。
 小は仲間内、大は国家まであらゆる共同体の観念は吉本流にいえば幻想である。もし、最低限度の共同体を必要となるとしたら、ゆるやかな共同体、いつでも抜けることができて、いつでも参加できる共同体、境目が限りなく薄くなった共同体そしてその構成員は共同体の決定事項をいつでも拒否できる権利(拒否権)をもつ開かれた共同体であることが理想である。しかし抑圧する共同体が存在する現在において、我々がなしうることは杉下右京や大門未知子、榊マリコのように智慧(特殊な才能)で自立しながらぎりぎりのところで抑圧をすり抜けていくか、抑圧に従って自己を押し殺し従順に生きていくか、北野サクラのように共同体に対峙して自壊していくか、のいずれかの方法しかないように思われる。
 どの道を選ぼうとも個々の人間の自由であるのは当然だが、これらのドラマを我々が痛快に思ったり共感したりするのは今現実に直面していている問題とどこかで通底しているからであり、無意識的あるいは意識的にか「自己の観念」がどこかで「共同体の幻想」からの疎外(矛盾)を実感しているからに違いない。
 現在という時代は「共同の幻想」から「個人の観念」が自立していく過渡期にあるのかもしれない。

金沢旅行~21世紀美術館『雲を測る男』

 久しぶりにつれあいとの旅行で、金沢に行った。ついた当日は雷雨や雹が降り荒れた1日だった。2日目は晴天で、つれあいが21世紀美術館が見たいというので、ホテルから歩いていくことにした。四高記念公園、広坂緑地を越え10分ほどで美術館についた。開館10分前に着いたが、もう100人以上が並んでいた。特に白人系の人たちが多く、芸術は豊かさの指標なのかもしれないと、ふと理由もなく思った。
 いくつかの展示に興味をもったが、ヤン・ファーブルの作品『雲を測る男』に添えられた解説文に最も興味がわいた。

 本作品は、『終身犯』(1961年 米国)という映画から着想を得て制作されました。この映画は、監獄に入れられた主人公が独房で小鳥を飼い、鳥類学者となった実話に基づいています。映画の終わりで研究の自由を剥奪された主人公が、「今後は何をして過ごすのか」と問われ、「雲でも測って過ごすさ」と答えましたが、作品のタイトルはその台詞に由来しています。(以下略)

 この独房と個人の関係性はちょうど埴谷雄高が戦前思想犯として独房に入れられ、その中でカントやドストエフスキーの本を読み「革命家は行動を起こさなければいけないという観念論ではなく、未来のビジョンを示せばよいということを示したコペルニクス的回転」(吉本隆明)に至った経緯に似ている。マルクスが言うように人は自然を価値化(対象化)することで疎外(自己疎外)され意識が生まれた(あるいは逆に意識が生まれたから自然を疎外した)。同様にして独房に入れられると、人の行動は疎外され、意識の自由を求めるほかないようにおもわれる。このような環境では、現実的に見える行動は観念的であり、観念的に見える意識が現実的になるという一見パラドックスにみえる現象が人の到達しうる究極的な現実といえなくもない。すべての現実を受け入れざるを得ないとき、人は現実の世界の不自由と引き換えに観念の世界の自由を獲得する。

 この「終身犯」も独房で行動を疎外され、さらに鳥類学の研究の道も断たれてもなお、観念の世界で自由に生きる場所を見出すため、独房にわずかに穿たれた窓を通して「雲を測る」という現実をつかみとることができると考えたのだろう。

Nとの対話~日米貿易協定

N:
 日本では、秋だと言うのに、私の住み家では桜の話題で持ちきりです。
その間に日米貿易協定が粛々と進んでいます。私はTPPの蒸し返し、日米FTPだと思っています。同じようなことを共産党が衆院で2019.11.13に、衆院農林水産委員会で田村貴昭議員が、衆院外務委員会で穀田恵二議員が、茂木敏充外務大臣に質問しています。
 田村貴昭は、再協議規定があり、さらなる関税下げも要求される、ことについて、穀田恵二は、国会を欺く資料提出について、審議の根幹に関わる重大問題だとして、途中で質問止めちゃいました。
 アメリカは、クリントンの頃から再協議といういつもの手を使ってきます。外務省の資料について、調べてみました。
 今回の日米貿易協定の始まりは、2018年9月26日の日米首脳会談です。日米首脳会談の共同声明の仮訳で、「Trade Agreements on goods, as well as on other key areas including services」(物品、およびサービスを含む他の重要分野に関する貿易協定)を、「日米物品貿易協定(TAG)」と意識的に直訳とは異なる一部だけの翻訳をしました。しかもこれを正式な翻訳のように扱っています。

2019年4月、ワシントンDCで行われた、日米首脳会談・閣僚会合で交渉開始。このとき「日米物品貿易協定」という言葉が消えていました。その後
2019年8月25日、日米首脳会談をめぐるページで、昨年9月の共同声明の日本語版が仮訳であったことを認めました。
2019年9月23日合意確認。
2019年9月25日、日米首脳会談をめぐるページで、「日米貿易協定」という用語を使用。(8月25日段階では「日米貿易交渉」となっていた。)
2019年10月7日公式文書署名。2019年11月15日には衆議院通過しました。20日から参院で審議される見通し。

 なぜ、外務省は隠すのか。日米貿易協定の外務省による日本語版では、第7条この協定の付属書は、この協定の不可分の一部を成す。第11条この協定は、日本語及び英語をひとしく正文とする。ただし、付属書Ⅱは、英語のみを正文とする、となっています。
 付属書Ⅰは日本国の関税及び関税に関連する規定で114ページ、付属書Ⅱはアメリカの関税及び関税に関連する規定で24ページ、またⅡについては公式日本語版の作製が禁止されています。この協定の本体である付属書の分量が全然違います。日本側についてはこと細かく規定されていますが、アメリカ側については概要しか書かれていません。先に上げた、再交渉でいつでも変えることができるようにしてあるように思われます。でも、これで対等の外交協定なんですかね。そりゃ、外務省も隠したいですね。
外務省のサイトに英語版があります。興味があったらご覧ください。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527401.pdf

瘋癲老人:
 国家間の経済交渉は経済・軍事など国家間の力の差が現れるものだと思います。政治家は自国に有利な交渉結果だといって、自分の力を誇示したいため、あるいは失敗を隠すため、交渉の結果はこれだけのものを勝ち取ったといって、不利な内容は隠そうとしてしまいます。そんなことは何十回も繰り返してきています。もし、このようなことをなくそうと考えるならば、国家の介入のない経済社会、あるいは国家のない社会が実現しなければ解決できないと思っています。
 しかし、現実的には国家が存在し、経済社会を管理しています。国家がある限りは確かに少しでも有利な条件を相手に飲んでもらいたいと思うのは我々も、政治家も同じだと思いますが、実際の交渉ではそうもいかないのでしょうね。でもまともな政治(高みから見下ろす政治ではなく、庶民目線の政治)をめざすなら、交渉結果の不利な点も明らかにして、なぜ不利な条件をのまなければならなかったかを説明する必要があるのでしょうね。

Nとの対話 象徴天皇制

N:

 皇居宮殿で「即位礼正殿の儀」が行われ、天皇が、「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います。」と述べたそうです。

 これがネトウヨの間で大問題になっています。「憲法にのっとり」を文字通りに解釈すると、憲法を守るということになり、憲法改正を願うネトウヨには受け入れられないからです。中には、ここで言う憲法とは、国際条約、コモンセンスのことだと、苦しい解釈をする者もいます。

 私は字面通り、「憲法を守る」というのが天皇の意思だと思います。昭和天皇、平成天皇と、この一家は「憲法を守る」ことを、代々受け継いでいると思います。

 即位式で各国来賓の前で宣明したのですから、この意味は大きいですね。安倍首相も思わぬ伏兵に出会ったものです。

 

瘋癲老人:

 おっしゃる通りなのですが、象徴天皇(あるいみでは古来かわりませんが)制を超えようとする見識を持っている人はほとんどいませんね。すべての報道機関は天皇制がいかに国民に支持されているかを報じるだけで、天皇制のもっている意味やその問題点、未来をどのように描くのかについて語っているものは皆無です。

 右翼も左翼も中道も政治勢力は天皇という言葉の前で自立性を放棄しているように思われます。ネットウヨが天皇の言葉に反対ならば、「もう天皇はいらない」といったほうがすっきりすると思うのですが、これも自立性を失って、うやむやになってしまうのでしょうね。

現実社会と国家

 最近米中関係、日韓関係、イギリスとEUなど国家間の問題がクローズアップされている。これらの問題は経済社会と国家の問題である。なぜいつもこのような問題が沸き起こってくるのだろうか。結論から言えば経済社会は国家を超えているにもかかわらず依然として国家という幻想にとらわれている、あるいは利用している政府や個人がいるからだ。
 ヘーゲルによればもともと国家とは宗教→法→国家と段階的に発展してきたもので、現実の社会とは相対的に独立した進化をとげたものとみなしている。もちろん全く現実社会が国家にあるいは国家が現実社会に影響を与えないというわけではないが観念の世界はある程度独立した形態で進化すると考えた。例えば法として成立する概念は、個々人の意志をすべて集めてきて、その共通部分を法とする、という考え方だ。簡単にいえば、現実の個々人の意志の普遍性を抽象してきて法をつくるということで、個々人の考えている現実の意思と法とは別物だということだ。たとえば、酒に酔って立ちションをしたり、タバコのポイ捨てをしたりしてしまうことがあるし、誰でも軽犯罪に近いことを経験しているに違いない。このことが、個々人の現実の意志は法よりも幅広いことを証明している。だから、法が抽象である限り個々人の現実の意志よりも狭い範囲にあるということになる。その後成立してくる国家も我々の生きる現実社会よりも狭い範囲にならざるを得ない。これが経済社会は国家を超えて拡張していくが国家は依然として観念の世界でせめぎあっている理由である。
 しかし、国家が前面に出てくると、多くの人々は国家が現実社会を大きく包み込む存在として考えてしまい、無意識の中で国家の意志と個々人の意志を同置することになる。日本が大戦に邁進していった理由の一つはここにあるともいえる。そして現在、国家が経済を規制し経済の進化を妨げる状況に至っている。更なる経済の進化を望むなら、幻は幻のままで、現は現のままで、国家による経済統制のない状況をつくりあげるほかない。

霧の階段

  詩はあまり意味を考えずに直感で理解することが多いのだが、一つひっかかると、どうしても理屈づけしたくなってしまう。森川の「勾配」を理解しようと試みるに従い、この「階段」を受けて書かれたという鮎川の「たとえば霧や、あらゆる階段の跫音のなかから遺言執行人がぼんやりと姿を現す。これがすべての始まりである」における階段とは森川と同じ「階段」なのか、という疑問が生じる。どうも違った「階段」のように思われる。森川の到達した「非望の階段」は当時の鮎川など個々の「自由な表出」を掲げてきた者たちにとっては共通に担わされた「階段」であっただろう。そして戦後生き残った鮎川たちがたどり着いた「階段」は先の見えない「霧の階段」であったに違いない。

 


死んだ男  鮎川信夫

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
——死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代——
活字の置き換えや神様ごっこ——
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 鮎川は昔M(森川?)などとよく行ったとみられる薄暗い酒場に降り立ったとき、戦死した者たちの「遺言執行人」として、この地点から出発するほかなかったのだ。「遠い昨日、ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、ゆがんだ顔をもてあましたり、手紙の封筒を裏返すようなことがあった。『実際は、影も、形もない?』、ー死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。」許されるならば勝手な解釈をしてみよう。鮎川はMたちと降り立った酒場でよく酒に酔った口調で議論しあったり、投稿されてきた詩の差出人を見たりしあったのだろう。そしてそのような個人的あるいは仲間内の楽しかったことは、生き残ってしまった今考えてみると、戦争の現実に対しては幻に過ぎなかった。「Mよ、昨日のひややかな青空が、剃刀の刃にいつまでも残っているね。だがぼくは、何時何処できみを見失ったのか忘れてしまったよ。短かかった黄金時代ー、活字の置き換えや神様ごっこー、『それがぼくたちの古い処方箋だった』と呟いて……」鮎川は戦前の凍えるばかりのひんやりとした冷たさは覚えているが、Mの生き生きとした面影は忘れてしまったといっている。短かった黄金時代だったあの頃は言葉遊びなどで、言葉を紡ぎだすことが詩作の処方箋だった。「いつも季節は秋だった、昨日も今日も、『淋しさの中に落葉がふる』その声は人影へ、そして街へ、黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。」そして死にそこなって帰ってきてもそこはいつも愁いにみち「昨日も今日も、『淋しさの中に落葉がふる』」情況で、内側に深く鉛のような沈んだ心象は個々の人や街々にいつまでも続いていた。Mを詩人として葬るための「埋葬の日は、言葉もなく、立会う者もなかった、憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。空にむかって眼をあげきみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。」「『さよなら。太陽も海も信ずるに足りない』Mよ、地下に眠るMよ、きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか」

 Mが最後に到達した「生命の根源である」自然(太陽や海)も信じるに足りない。なぜなら、自然はやおろずの神につうじ、やおろずの神は天照大神につうじ、天照大神は天皇制につうじ、天皇制は国家につうじ、国家は戦争につうじている。「言葉の置き換えや神様ごっこ」などの言葉遊びで「自由な表出」の行きつく先は「非望の階段」であった。そして、鮎川自身やM、さらには当時の知識人を含むほとんどの人々が、「非望の階段」の到達点である「自然」への逃避の道を選択せざるを得なかった。しかし、その逃避さえもMの死につながっていた。そこに至った原因は「非望の階段」を強要する「現実世界」の重さであった。それゆえ、鮎川は「霧の階段」に降りたったとき、遺言執行人として「太陽と海」に別れを告げることから始めたのだ。その後、鮎川たちは、詩が「現実世界」と同じ重さになるほどの言葉を紡ぎだすために「真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせる」(吉本隆明『廃人の歌』)あるいは「一篇の詩が生むためには、われわれはいとしいものを殺さなければならない、これは死者を甦らせるただひとつの道であり、われわれはその道を行かなければならない」(田村隆一『四千の日と夜』)という地平から「戦後詩」を切り開いていった。

非望の階段

 友人Nからメッセージが届いた。森川義信の詩「勾配」(以下に掲載)についてのコメントであった。その中に誰が書いたかわからないが、次のような一文(以下「解説文」)があった。

1939年に書かれた「勾配」では、「太陽も海も信ずるに足りない」とき、もはや、個/孤の底に向かって、階段/勾配を「おりて」いくことしか残されていない。向かい合うものは己しかない。と詠う。


勾  配       森川義信

非望のきはみ
非望のいのち
はげしく一つのものに向かって
誰がこの階段をおりていったか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるやうに悲風はつんざき
季節はすでに終わりであった
たかだかと欲望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼し
光彩の地平をもちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆえにここまで来たのか

だがみよ
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまってゐるのだ

 詩や文学作品は作者自身の過去や執筆時点の固有時空からの表出とはかかわりなしに読者の固有時空が存在するから、さまざまな解釈が成り立ちうる。ただ、その「作品」が優れているかどうかは多くの人の共感時空(固有時空の普遍性)が持ちえるかどうかだ。共感時空はすべての人で同じわけではない。しかし、表出された「作品」が各個人の固有時空と共鳴するわけだから、共感時空が存在しえるとすれば、それぞれに共鳴することができること、すなわち様々な解釈が成立すること以外ないことになる。それが、「作品」の普遍性であり、優れた「作品」には解釈の多様性が成立するということだ。だから「解説文」の解釈と私の解釈が違っていても特段問題があるわけではない。しかし、この森川義信は私の好きな詩人のひとりだから、特に「解説文」の解釈には異和を感じてしまう。詩人は誰でも「太陽も海も信ずるに足り」ようと「足りな」かろうと個への階段を言葉と出会うために降りていかなければならない。だとすると「解説文」の言う階段は詩人にとって当たり前の階段だということになる。そのような階段をわざわざ表出する必要などありはしない。おそらくそうではない。「非望」の階段なのだ。自分と国家・社会や他人あるいは自分自身との関係性が強いてくる「非望の階段」なのだ。「希望」も「絶望」も超えた「あきらめ」にも近い心境の中で、人間としての理解や意志を放棄して生命の根源に近いところまで降りていく階段なのだ。それは人としての「死」を意味し、その境界に立った時、「かきむしるやうに悲風はつんざき、季節はすでに終りであつた」のだ。その地点から「人」であった自分を見た時「たかだかと欲望の精神に、はたして時は、噴水や花を象眼し、光彩の地平をもちあげたか、清純なものばかりを打ちくだいて、なにゆえにここまで来たのか」とうつむきかげんに自問している。しかし、(階段から遠くを望めば)そこには「きびしく勾配に根をささへ、ふとした流れの凹みから雑草のかげから、いくつもの道ははじまつてゐるのだ」と終わる。「非望の階段」のつきるところには、理解や意思もない植物が、ただ、厳しい自然にさらされながら、ひたすら「なされるままにすべてを受け入れ」生きている姿があった。「豊かな大地に深く根をおろし、太陽の輝く大空にむかってそのからだをまっすぐに伸ばしたその姿は」たくましくもあり、力強くもある。そのような生き方こそ生命の基本的な生き方であり、その地点から何かが始まるかもしれない、といっているようように思える。「非望」の末にたどり着いた地平である。そして彼は1942年ビルマの戦地で狂って眠ったという。わずか25歳の命であった。

 一般に植物は、太陽の光のもとで空からの雨、大地の無機物そして空気中の炭酸ガスをもとに、自らに持つ葉緑素の力でからだを造ってゆく、これらの素材は、考えてみれば、自然を構成する地・水・火・風のすべてにそれぞれ由来したもので、いずれも一部の地域を除いて、この地球上にあまねく存在する。こうした合成能力を持つ植物たちは、いわば居ながらにして己のからだを養っていくことが出来る。豊かな大地に深く根をおろし、太陽の輝く大空にむかってそのからだをまっすぐに伸ばしたその姿は、こうした食の形態を端的に象徴するものといえよう。(三木成夫『生命形態の自然誌』うぶすな書院、1989)

図 アリストテレスの自然と生命の階層
(三木成夫『生命形態の自然誌』うぶすな書院、1989より孫引き、若干の変更)

じゃあね

 11月7日、老人ホームに入っていた97歳の母が逝った。雑草が冬に枯れて自然に帰っていくようにゆっくりと眠りの中で去った。2週間前には握手しながら「じゃあね」というと、「車で帰るのでしょ、きをつけてね。」といつものあいさつで別れた。1週間ほど前ではあまり食事をとらず、水もほとんど飲まない状態になっていたが、それでも「水を飲まなきゃね。」といっていたので生きようとする気力を感じていた。その後、5日前にはだんだんと食事も水ものまなくなって、とわの眠りについた。

 カミュの『異邦人』ではないが、根っこが失われたような浮遊感がある。昔の人は「あの世」を現実の世界の延長と考えていたから、「あの世」と「この世」の2つの世界がつながり自分と先祖がつながる安定した世界があった(祖霊信仰)。現代では「あの世」など信じる根拠など全く失われているため根っこのない浮遊感だけが残る結果となっている。でもよくよく考えてみると生命は誕生して以来綿々とつながっており、親子のつながりもこの流れの一端である。「あの世」「この世」のつながりを想定しなくても現在あるすべてが自分の存在の根拠である。だからこの浮遊感から現在を否定していく「異邦人」になる必然性もなく、この浮遊感を超えていくという課題は、個々人の現在へのかかわりに帰される問題でもある。

 いま一つ不思議な体験をした。母が亡くなって数時間安置したのち老人ホームから霊柩車に移すとき、見送りに来た老人ホームの職員から「挨拶をしてください」と突然いわれ、何を言ったかは覚えていないが最後に「ありがとうございました」といったとき、胸の奥から突き上げてくるものがあった。言葉にしなければ、このようなことにはならなかったと思える。これは私が考えてきた流れから言うと、言葉を表出した時に必ず「こころ」を内在化させてしまうため、言葉で抑えることができないほどの「こころ」がある場合、「こころ」が胸の奥からあふれ出すということのように思われる。

 この喪失感やあふれ出すものがあるときは詩心のある人は詩にすることもできるのだろうが私にはその才能がない。若いころ読んだ「森川義信詩集」の一篇で代用するほかない。

・・・「じゃあね」

哀歌                森川義信

枝を折るのは誰だらう
あはただしく飛びたつ影は何であらう
ふかい吃水のほとりから
そこここの傷痕から
ながれるものは流れつくし
かつてあつたままに暮れていつた
いちどゆけばもはや帰れない
歩みゆくものの遅速に
思ひをひそめ
想ひのかぎりをこめ
いくたびこの頂に立つたことか

しづかな推移に照り翳り
風影はどこまで暮れてゆくのか
みづから哀しみを捉へて佇むと
ふと
こころの佗しい断面から
わたしのなかから
風がおこり
その風は
何を貫いて吹くのであらう