• さようなら! 太陽も海も信ずるに足りない

「人間性とは何か」懇談会を終えて

 今回の懇談会で違和感を感じていました。何が違和感だったのかを考えてみますと、二つほどあります。一つには個々の人たちは自分の問題を抱えており、その解決の手がかりを得ようとしているにもかかわらず、私の考えてきたことは問題全体をどのようにとらえて、全体としてどのように解決したらいいのかということで、具体性に欠けていることだと思います。私はもともと個々の問題を解決しても、全体としての解決にはならないと思っていますし、それに関する専門的な知識もありません。これが違和感の原因だと思います。もう一つは、正しいことを言いすぎてるということです。正しいとは現時点で正しいということで、常識の範囲内であまりあたりさわりのないところで、コミュニケーションを行っている、ということです。おそらくそこで人間性の本質を見極めることはできないとおもいます。障害者の苦しみや喜び、生活の上でのなやみや笑、すべて個人・個人が経験したことを個人個人が対象化し、考え悩み、その上で発せられた(自分に向けられた)言葉が重要です。そのことが人間の闇(無意識)と連動しているからです。その無意識の領域がすぐれた文学などには表れています。私(たち)はこの無意識に共鳴するのです。無意識は胎児~2歳までに形成されます。この時期が脳と内臓が連携していく時期にあたります。この時期は母親との接触が中心の世界になります。ですから母親の快・不快が、子供の内臓の快・不快と連動し、子供の脳に快・不快の構造が形成されます。
 人間と動物を区別するとき、いろいろな違いが挙げられます。そのなかで、最も重要なのは、人間は分節を発生させることができたことと、特定の一人を愛情の対象にできたことです。我々が言葉を話すのは自然に感じますが、赤ちゃんを見ればわかりますが、「葉っぱ」という言葉を話すときに、ものすごくきつそうな顔をしながら発しています。このとき、呼吸を止めることができないと分節は発生できないのです。呼吸を止めるということは生死にかかわることです。これは凄まじい集中力を必要とします。恋愛も一人に集中する力です。なぜ、集中できるようになったかは不明ですが、内臓(肺)の働きを脳が抑制することで達成できるようになったことは明白です。このことが元来、動物の遠吠えのような内臓(心)の叫びが脳の抑制で言葉に進化したとおもわれます。ですから、言葉には本当(心)のことを内在化させる作用があるのだとおもいます。
 これが人間の本質を規定しているとすると、日々我々は嘘をついたり、気取ったり、飾ったりすることはまさに人間性というほかありません。たまには抑制をゆるめて、動物的になったり、植物的になったりして、こころを開放することも必要なのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です