Nとの対話~日米貿易協定

N:
 日本では、秋だと言うのに、私の住み家では桜の話題で持ちきりです。
その間に日米貿易協定が粛々と進んでいます。私はTPPの蒸し返し、日米FTPだと思っています。同じようなことを共産党が衆院で2019.11.13に、衆院農林水産委員会で田村貴昭議員が、衆院外務委員会で穀田恵二議員が、茂木敏充外務大臣に質問しています。
 田村貴昭は、再協議規定があり、さらなる関税下げも要求される、ことについて、穀田恵二は、国会を欺く資料提出について、審議の根幹に関わる重大問題だとして、途中で質問止めちゃいました。
 アメリカは、クリントンの頃から再協議といういつもの手を使ってきます。外務省の資料について、調べてみました。
 今回の日米貿易協定の始まりは、2018年9月26日の日米首脳会談です。日米首脳会談の共同声明の仮訳で、「Trade Agreements on goods, as well as on other key areas including services」(物品、およびサービスを含む他の重要分野に関する貿易協定)を、「日米物品貿易協定(TAG)」と意識的に直訳とは異なる一部だけの翻訳をしました。しかもこれを正式な翻訳のように扱っています。

2019年4月、ワシントンDCで行われた、日米首脳会談・閣僚会合で交渉開始。このとき「日米物品貿易協定」という言葉が消えていました。その後
2019年8月25日、日米首脳会談をめぐるページで、昨年9月の共同声明の日本語版が仮訳であったことを認めました。
2019年9月23日合意確認。
2019年9月25日、日米首脳会談をめぐるページで、「日米貿易協定」という用語を使用。(8月25日段階では「日米貿易交渉」となっていた。)
2019年10月7日公式文書署名。2019年11月15日には衆議院通過しました。20日から参院で審議される見通し。

 なぜ、外務省は隠すのか。日米貿易協定の外務省による日本語版では、第7条この協定の付属書は、この協定の不可分の一部を成す。第11条この協定は、日本語及び英語をひとしく正文とする。ただし、付属書Ⅱは、英語のみを正文とする、となっています。
 付属書Ⅰは日本国の関税及び関税に関連する規定で114ページ、付属書Ⅱはアメリカの関税及び関税に関連する規定で24ページ、またⅡについては公式日本語版の作製が禁止されています。この協定の本体である付属書の分量が全然違います。日本側についてはこと細かく規定されていますが、アメリカ側については概要しか書かれていません。先に上げた、再交渉でいつでも変えることができるようにしてあるように思われます。でも、これで対等の外交協定なんですかね。そりゃ、外務省も隠したいですね。
外務省のサイトに英語版があります。興味があったらご覧ください。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000527401.pdf

瘋癲老人:
 国家間の経済交渉は経済・軍事など国家間の力の差が現れるものだと思います。政治家は自国に有利な交渉結果だといって、自分の力を誇示したいため、あるいは失敗を隠すため、交渉の結果はこれだけのものを勝ち取ったといって、不利な内容は隠そうとしてしまいます。そんなことは何十回も繰り返してきています。もし、このようなことをなくそうと考えるならば、国家の介入のない経済社会、あるいは国家のない社会が実現しなければ解決できないと思っています。
 しかし、現実的には国家が存在し、経済社会を管理しています。国家がある限りは確かに少しでも有利な条件を相手に飲んでもらいたいと思うのは我々も、政治家も同じだと思いますが、実際の交渉ではそうもいかないのでしょうね。でもまともな政治(高みから見下ろす政治ではなく、庶民目線の政治)をめざすなら、交渉結果の不利な点も明らかにして、なぜ不利な条件をのまなければならなかったかを説明する必要があるのでしょうね。

Nとの対話 象徴天皇制

N:

 皇居宮殿で「即位礼正殿の儀」が行われ、天皇が、「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います。」と述べたそうです。

 これがネトウヨの間で大問題になっています。「憲法にのっとり」を文字通りに解釈すると、憲法を守るということになり、憲法改正を願うネトウヨには受け入れられないからです。中には、ここで言う憲法とは、国際条約、コモンセンスのことだと、苦しい解釈をする者もいます。

 私は字面通り、「憲法を守る」というのが天皇の意思だと思います。昭和天皇、平成天皇と、この一家は「憲法を守る」ことを、代々受け継いでいると思います。

 即位式で各国来賓の前で宣明したのですから、この意味は大きいですね。安倍首相も思わぬ伏兵に出会ったものです。

 

瘋癲老人:

 おっしゃる通りなのですが、象徴天皇(あるいみでは古来かわりませんが)制を超えようとする見識を持っている人はほとんどいませんね。すべての報道機関は天皇制がいかに国民に支持されているかを報じるだけで、天皇制のもっている意味やその問題点、未来をどのように描くのかについて語っているものは皆無です。

 右翼も左翼も中道も政治勢力は天皇という言葉の前で自立性を放棄しているように思われます。ネットウヨが天皇の言葉に反対ならば、「もう天皇はいらない」といったほうがすっきりすると思うのですが、これも自立性を失って、うやむやになってしまうのでしょうね。

現実社会と国家

 最近米中関係、日韓関係、イギリスとEUなど国家間の問題がクローズアップされている。これらの問題は経済社会と国家の問題である。なぜいつもこのような問題が沸き起こってくるのだろうか。結論から言えば経済社会は国家を超えているにもかかわらず依然として国家という幻想にとらわれている、あるいは利用している政府や個人がいるからだ。
 ヘーゲルによればもともと国家とは宗教→法→国家と段階的に発展してきたもので、現実の社会とは相対的に独立した進化をとげたものとみなしている。もちろん全く現実社会が国家にあるいは国家が現実社会に影響を与えないというわけではないが観念の世界はある程度独立した形態で進化すると考えた。例えば法として成立する概念は、個々人の意志をすべて集めてきて、その共通部分を法とする、という考え方だ。簡単にいえば、現実の個々人の意志の普遍性を抽象してきて法をつくるということで、個々人の考えている現実の意思と法とは別物だということだ。たとえば、酒に酔って立ちションをしたり、タバコのポイ捨てをしたりしてしまうことがあるし、誰でも軽犯罪に近いことを経験しているに違いない。このことが、個々人の現実の意志は法よりも幅広いことを証明している。だから、法が抽象である限り個々人の現実の意志よりも狭い範囲にあるということになる。その後成立してくる国家も我々の生きる現実社会よりも狭い範囲にならざるを得ない。これが経済社会は国家を超えて拡張していくが国家は依然として観念の世界でせめぎあっている理由である。
 しかし、国家が前面に出てくると、多くの人々は国家が現実社会を大きく包み込む存在として考えてしまい、無意識の中で国家の意志と個々人の意志を同置することになる。日本が大戦に邁進していった理由の一つはここにあるともいえる。そして現在、国家が経済を規制し経済の進化を妨げる状況に至っている。更なる経済の進化を望むなら、幻は幻のままで、現は現のままで、国家による経済統制のない状況をつくりあげるほかない。

霧の階段

  詩はあまり意味を考えずに直感で理解することが多いのだが、一つひっかかると、どうしても理屈づけしたくなってしまう。森川の「勾配」を理解しようと試みるに従い、この「階段」を受けて書かれたという鮎川の「たとえば霧や、あらゆる階段の跫音のなかから遺言執行人がぼんやりと姿を現す。これがすべての始まりである」における階段とは森川と同じ「階段」なのか、という疑問が生じる。どうも違った「階段」のように思われる。森川の到達した「非望の階段」は当時の鮎川など個々の「自由な表出」を掲げてきた者たちにとっては共通に担わされた「階段」であっただろう。そして戦後生き残った鮎川たちがたどり着いた「階段」は先の見えない「霧の階段」であったに違いない。

 


死んだ男  鮎川信夫

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
——死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代——
活字の置き換えや神様ごっこ——
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 鮎川は昔M(森川?)などとよく行ったとみられる薄暗い酒場に降り立ったとき、戦死した者たちの「遺言執行人」として、この地点から出発するほかなかったのだ。「遠い昨日、ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、ゆがんだ顔をもてあましたり、手紙の封筒を裏返すようなことがあった。『実際は、影も、形もない?』、ー死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。」許されるならば勝手な解釈をしてみよう。鮎川はMたちと降り立った酒場でよく酒に酔った口調で議論しあったり、投稿されてきた詩の差出人を見たりしあったのだろう。そしてそのような個人的あるいは仲間内の楽しかったことは、生き残ってしまった今考えてみると、戦争の現実に対しては幻に過ぎなかった。「Mよ、昨日のひややかな青空が、剃刀の刃にいつまでも残っているね。だがぼくは、何時何処できみを見失ったのか忘れてしまったよ。短かかった黄金時代ー、活字の置き換えや神様ごっこー、『それがぼくたちの古い処方箋だった』と呟いて……」鮎川は戦前の凍えるばかりのひんやりとした冷たさは覚えているが、Mの生き生きとした面影は忘れてしまったといっている。短かった黄金時代だったあの頃は言葉遊びなどで、言葉を紡ぎだすことが詩作の処方箋だった。「いつも季節は秋だった、昨日も今日も、『淋しさの中に落葉がふる』その声は人影へ、そして街へ、黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。」そして死にそこなって帰ってきてもそこはいつも愁いにみち「昨日も今日も、『淋しさの中に落葉がふる』」情況で、内側に深く鉛のような沈んだ心象は個々の人や街々にいつまでも続いていた。Mを詩人として葬るための「埋葬の日は、言葉もなく、立会う者もなかった、憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。空にむかって眼をあげきみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。」「『さよなら。太陽も海も信ずるに足りない』Mよ、地下に眠るMよ、きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか」

 Mが最後に到達した「生命の根源である」自然(太陽や海)も信じるに足りない。なぜなら、自然はやおろずの神につうじ、やおろずの神は天照大神につうじ、天照大神は天皇制につうじ、天皇制は国家につうじ、国家は戦争につうじている。「言葉の置き換えや神様ごっこ」などの言葉遊びで「自由な表出」の行きつく先は「非望の階段」であった。そして、鮎川自身やM、さらには当時の知識人を含むほとんどの人々が、「非望の階段」の到達点である「自然」への逃避の道を選択せざるを得なかった。しかし、その逃避さえもMの死につながっていた。そこに至った原因は「非望の階段」を強要する「現実世界」の重さであった。それゆえ、鮎川は「霧の階段」に降りたったとき、遺言執行人として「太陽と海」に別れを告げることから始めたのだ。その後、鮎川たちは、詩が「現実世界」と同じ重さになるほどの言葉を紡ぎだすために「真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせる」(吉本隆明『廃人の歌』)あるいは「一篇の詩が生むためには、われわれはいとしいものを殺さなければならない、これは死者を甦らせるただひとつの道であり、われわれはその道を行かなければならない」(田村隆一『四千の日と夜』)という地平から「戦後詩」を切り開いていった。

「人間性とは何か」懇談会を終えて

 今回の懇談会で違和感を感じていました。何が違和感だったのかを考えてみますと、二つほどあります。一つには個々の人たちは自分の問題を抱えており、その解決の手がかりを得ようとしているにもかかわらず、私の考えてきたことは問題全体をどのようにとらえて、全体としてどのように解決したらいいのかということで、具体性に欠けていることだと思います。私はもともと個々の問題を解決しても、全体としての解決にはならないと思っていますし、それに関する専門的な知識もありません。これが違和感の原因だと思います。もう一つは、正しいことを言いすぎてるということです。正しいとは現時点で正しいということで、常識の範囲内であまりあたりさわりのないところで、コミュニケーションを行っている、ということです。おそらくそこで人間性の本質を見極めることはできないとおもいます。障害者の苦しみや喜び、生活の上でのなやみや笑、すべて個人・個人が経験したことを個人個人が対象化し、考え悩み、その上で発せられた(自分に向けられた)言葉が重要です。そのことが人間の闇(無意識)と連動しているからです。その無意識の領域がすぐれた文学などには表れています。私(たち)はこの無意識に共鳴するのです。無意識は胎児~2歳までに形成されます。この時期が脳と内臓が連携していく時期にあたります。この時期は母親との接触が中心の世界になります。ですから母親の快・不快が、子供の内臓の快・不快と連動し、子供の脳に快・不快の構造が形成されます。
 人間と動物を区別するとき、いろいろな違いが挙げられます。そのなかで、最も重要なのは、人間は分節を発生させることができたことと、特定の一人を愛情の対象にできたことです。我々が言葉を話すのは自然に感じますが、赤ちゃんを見ればわかりますが、「葉っぱ」という言葉を話すときに、ものすごくきつそうな顔をしながら発しています。このとき、呼吸を止めることができないと分節は発生できないのです。呼吸を止めるということは生死にかかわることです。これは凄まじい集中力を必要とします。恋愛も一人に集中する力です。なぜ、集中できるようになったかは不明ですが、内臓(肺)の働きを脳が抑制することで達成できるようになったことは明白です。このことが元来、動物の遠吠えのような内臓(心)の叫びが脳の抑制で言葉に進化したとおもわれます。ですから、言葉には本当(心)のことを内在化させる作用があるのだとおもいます。
 これが人間の本質を規定しているとすると、日々我々は嘘をついたり、気取ったり、飾ったりすることはまさに人間性というほかありません。たまには抑制をゆるめて、動物的になったり、植物的になったりして、こころを開放することも必要なのかもしれません。

「人間性とは何か」への回答

メールで質問があった。
普通生物体は生き延びる様に生きますよね?
人間は、原発とか核戦争とか、1歩間違えば、破滅するかもしれないようなものを何故、作っていくのでしょう?そう言うことも、人間性に含まれますか?

回答
 人間性の定義はむずかしいのですが、言えることは人間の行うことすべてが人間性に含まれると思います。ただ、人間性には、植物性、動物性もすべてふくまれています。あるときは植物性が主体的にあらわれたり、あるときは動物性があらわれたり、あるときは人間の原始的共同性があらわれたり、一人の人を愛するという恋愛感情をもったり、国家や宗教などの共同性に身を置いてしまって戦争を起こすことがすべて人間性です。ただこれらが並列的でもありますが、徐々に段階(歴史)的につみ重ねてきた部分もあります。原発は実際は科学技術の問題です。今発見されている素粒子などもある意味では危険なものです。科学が発展すると危険性は格段に増えていきます。科学技術の応用には危険性が伴いますが、発展を止めることはできません。注意深く取り扱う必要があります。一方、戦争や核爆弾の開発、軍事費用の増大など戦争につながる行為は国家や宗教など共同性の問題です。(主体的か非主体的かを問わず)戦争は個人が共同性に巻き込まれた争いです。国家や宗教を越えて個人が主体になる情況が見えてきていません。先進国でさえ、逆戻りして国家主義的になってきています。でも人間性は最終的には個人を主体とした自由・平等・博愛を理想とした社会を目指しているのではないでしょうか。

Sの死と「死の宣告」

 我が友、Sさんが2月14日逝去されました。冥福を祈ります。

 2月19日通夜に行ってきました。遺族の方の話では、2年程前にがんが判明し、余命2年半と宣告されたようです。しかし、本人は「自己の死」を了解できず、苦悩し、カウンセリングを受けていたそうです。40年ほど前、私の姉が亡くなりました。姉は胃癌から骨髄に転移し、「あと長くて半年」と医師に宣告されました。当時の医師は本人に「死の宣告」を行いませんでした。医師が宣告の苦痛を避けているともいえますが、「死」の宣告は家族の選択で、ということが一般的でした母がいないとき姉に「本当のことを話して」といわれましたが、言葉に詰まって、結局本当(医師の宣告が本当かどうかなどわかりません。)のことを言えませんでした。でも、姉はそれ以降一度も「本当のこと」を問いただすことはなく、母の将来を気遣って自分が死んだ場合に年金はもらえるから心配ないということをいっていました。姉は感受性が豊かな人でしたから、弱っていく身体の中ですべてを察知していたように思います。

 元来「死」は本人以外経験できないものです。私たちの「死」の了解は「他者の死」の了解にすぎません。「自己の死」を宣告されても経験できないものを了解することは難しく思われます。今では本人への「宣告」は普通になっていますが、それが本当に意味あることなのか疑問になります。おそらく、「宣告」など受けても受けなくても本人は「死」が近づいてきていることを自己の身体との対話の中で、ぼんやりと感じているように思われます。了解とは脳と内臓とのコミュニケーションによる調和で、「腑に落ちる」ことです。これには時間がかかるものと考えられます。内臓の崩壊が始まったばかりの時にはまだ内臓は「死」を感覚できません。脳は客観的に「他人の死」を「自己の死」と同値しようとしますが、内臓が納得しません。徐々に内臓の崩壊が進むと内臓感覚も不快感を増大させます。そして、不快感はおぼろげながら「自己の死」を了解せざるをえない情況に至る、と思われます。

 かなりしんどい話ですが、家族や近親者ができることといったら、「宣告」を受けとり、死にゆく者の「死」を了解し、伝えるかどうかを判断し、すべてを飲み込み、支える覚悟で対処する他なく、できたとしても、「自己の死」の苦悩をほんの少し緩和させるだけなのかもしれません。

アベノマジック

 友人Nからメールをもらった。日銀の政策と三菱UFJ銀行の仮想通貨導入にかんする問題点と疑問であった。それまでは日銀の金融政策は何をやっても景気に影響を与えることはできないと考えていたため、あまり深く考えていなかった。なぜそう考えていたかというと、多くの人はこれ以上消費を増やさなくても十分生活でき、安定しているからだ。このことをもう少し考えてみる。景気の一つの指標としてGDP(分配面)をみると、GDPの60~70%が消費で大きな位置を占める。だから景気を良くするということは、この消費を増やすような政策が必要になる。ところで、消費は2つからなるといわれる。一つは生活するうえで最低限必要な消費であって、個々人の抑制が困難な消費で基礎的消費とよばれ、もう一つは被服関係や旅行などの趣味・嗜好性が高い消費であって、個々人が少し抑えようとすれば抑えられる消費で選択的消費とよばれるものである。このため、政策はこの選択的消費を増やすようなものでなければ、GDPも景気も上向かない。GDPの分配面をわかりやすくいえば、(消費+貯蓄+税金)となる。一般市民からみると、(所得ー税金)が可処分所得だから、可処分所得のうち、消費を抑えれば、貯蓄が増える。ところで、選択的消費は先進国において消費の40%を超えるものとなっている。このため、金利を下げて、お金をじゃぶじゃぶにしても景気が良くならないのは、少しでも不安があればその選択的消費を抑えて貯蓄に回しても生活には特段問題はないためだ。だから安倍政権が誕生したとき、アベノミクスで金利を低く抑え「お金」を借りやすくし、一方で、物価を上げインフレに誘導し、企業利益や賃金の引き上げによって所得を増やしGDPを増やすといったマジックを行なおうとした政策は、多少所得が増えても物価も上がり、大した変化などないから、選択的消費を増やす行動に移りえない。図―1の消費に占める選択的消費をみると、2011年の震災やオリンピック需要によって、じゃぶじゃぶにした「お金」を復興や施設建設などに使うことができるようになったため、若干景気が上向いたように感じ、2011年~2014年は選択的消費は緩やかに増えたように見える。しかし、2014年以降は消費税増税やアベノマジックの効果で企業が商品価格を上げたため物価が上昇し、これに対応した消費者が選択的消費を抑えたことにより、比較的急に減少に転じている。(最近では、イオンなど大きなスーパーはアベノマジックをイリュージョンだったとして、商品価格を下げる行動に移ってきた。結局デフレ状態は脱却できていない。)

図―1 消費に占める選択的消費比率(赤い線は12カ月移動平均、家計調査より作成)

 これをみても、日銀の異次元的金融緩和がほとんど景気(消費)を刺激していないことがわかる。この点では私が思った通りの結果である。
Nにいわれて改めて日銀のアベノマジックへの対応を見ると、非常に恐ろしい状態になっていることがわかった。しかし、お金のみで景気を左右しようとする試みは政策決定者や資本家には影響がありうることだが、どのようにお金を調整しても、我々庶民の生活は衣食住をまかなえて、多少の贅沢を行えるなら、早い話しったことではない。もしそんな生活に影響がでるようなら、政策決定者や資本家に責任を取ってもらうだけだ。

 今日はアベノマジックに加担して「コレド室町2」で厚岸産のカキフライ定食と生ガキを食べに行って疲れた。次回恐ろしいアベノマジックについて書くつもりだったが、各方面ですでにいろいろ書かれているのでやめた。

 

 

天皇の退位と堀北真希の引退

天皇は象徴として生きることを強制されている。肉体は現実の生活を生きる人間としてありながら、ほとんどの生活は抽象化された象徴天皇として対外的には生きなければならない。この2つに引き裂かれた精神の苦痛は計り知れないものと思える。先代の天皇は大戦で死んでいった人々の重さを抱え込んで、人間として生きながら象徴となる苦痛を自らの罪として受け入れて生きた。天皇の生き方はヘーゲルのいう「自由」な表現が奪われていることを意味し、「自由」と「承認」の矛盾を解消することの不可能な状態に落とし込まれている、といえる。このような状況で天皇が自ら「退位」を求めるのは引き裂かれた精神の悲鳴であり、おそらく現天皇以降の天皇は耐え得る精神構造を持ち得るとは思われない。本当に「人間宣言をした天皇」個人の「幸せ」を考えるのならば、そろそろ天皇を返上し、普通の生活をおくることが、「自由」と「承認」の観点からも最も「幸せ」となると考えられる。天皇を象徴天皇といつまでも考えることが少しも天皇個人の「幸せ」を考えていないことを意味している。

堀北真希の引退報道が3月初めころにあった。若き女優や芸能活動する人たちが最近引退することが増えてきたという。この現象の原因は「抽象化された生」において、「自己表現」として「自由」を獲得できずに、単に「承認」得るためだけの「虚構の生」を生きざるを得ないことにある。「現実の生」において「自由」と「承認」が両立できていたとしても、「抽象化された生」は天皇の場合と同じく精神的に耐え得ないものとなることが容易に想定できる。この矛盾の解消にはおそらく天皇の場合と同じく「現実の生」で「自由」と「承認」の関係に立ち返るしか方法がない。これが引退という道を選ぶ理由だろう。

私たちの生活において、「表現」することは基本的に「自由にすきなことをする(労働する)」ことであり、よりよいものをつくったり、考えたりして、さらによい「表現」をすることで、結果として他者に認められたり、自分で満足したり、より普遍性に近づけば「承認」されたことと同じことで、結局「自由」と「承認」の矛盾は克服されたことになる。

 

Nへ~ヘーゲルの「自由」と「承認」

ヨーロッパでは、思想的課題として「自由」が常に大きな位置をしめていた。ルソーやカントは「自由」は元来持っている本質としてとらえ、ヘーゲルは「人間は歴史と無関係に自由な存在ではなく、『時代の精神』が徐々に変化していく歴史の中で次第に自由を知っていく過程」だ、として「自由」の意味を徐々に理解していく存在であると考えた。また、一方で人間は個体としては全くの一人であるが、一人では生存できないことは自明である。この矛盾によって、個体の「自由」を求めながらも少なからず相互に「承認」しながら生きることを強制されてきた。ヘーゲルの『時代精神』は幼年期、少年期、青年期、大人へと至る成長過程で『個体の精神』に反映され、「自由」と「承認」の葛藤の中で(弁証法的に)形を変えながら当時の最も進んだ形態へと進化していくとした。この『時代精神』とはアダムスミスの考え方に代表される考え方で「自分自身の利益を考究していくうちに、 かれは、 自然に、否むしろ必然に、この社会にとってもっとも有利な用途を選考するようになる」という資本主義の基本原理だ。このような『時代精神』をヘーゲルは『個体の精神』に反映させ「個人の内なる個性を発揮して自己表現することで、製品(作品)を現実の世界に生み出す。自分の個性をひたすら表現することが大事だと考えている(「自由」)から表現できたことで、満足できると考えている。しかし、表現されたものは外在するから自身でも客観的に見ざるを得ない。次第に自分の製品を客観的に見ることができるようになり、他者や社会からの批判(「承認」)も加わって、より「ほんもの」の(普遍的な)作品を創ろうと努力するようになる。」と考えた。そして、結局「このような行為や表現は個々人の自由と批評を含んだ社会的行動になっており、自由の欲求と承認の欲求は矛盾せずに結びつく。」と考えることで、最終段階において、「自由」と「承認」の相克は止揚されたことになるとした。

(自注)ヘーゲルの『時代精神』はギリシャ・ローマ時代からはじまり、アジア的段階やアフリカ的段階は未開時代として無視している。このことに対し三木成夫はちょうどヘーゲルのアダムスミスのように、個体の未開時代を脊椎動物の発生と進化そして人類の発達と3歳までの個体の発達を関連付けた。また、吉本隆明もヘーゲルのように個体の未開時代の精神を「アフリカ的段階」と位置づけ、分析した。