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「アスペルガー症候群」とはなにか?

 ちょっと古いが、4月21日のNHKクローズアップ現代「アスペルガー症候群〜活躍の場を求めて」と4月23日のNHK特報首都圏「”ひとり”が怖い」 は現代若者の精神構造を主題にしたもので、ビデオを見直してみておもしろかった。  最近、新書としては異例のベストセラーを続けている「アスペルガー症候群」、人とのコミュニケーションが苦手とされる発達障害について書かれた本が、サラリーマンたちの注目を集めているそうだ。「自分もそうかもしれない」「KYなどの人が身近にいる」といった観点から読まれているようだ。「アスペルガー 症候群」は「表情」を理解できないなどの脳の機能の一部がうまく働かないことが原因とみられている。職場で対人関係に躓き始めて自分の障害に気付いたとい う人が急増しているという。「私が発言すると相手を怒らせたりする。」「態度がわるいらしいんですよね。自分ではわかんないんですけどね。」こういった一 方で、すぐれた数学的思考力や高い集中力・分析力などを持ち合わせている人も多く、企業ではその能力を発揮してもらうための取り組みが始まっているそう だ。こういった人たちにどう接し、彼らが活躍できる社会をどう作っていくのかを特集したものだ。

 「アスペルガー症候群」は知的障害のない自閉症の一つだそうだ。それは先天的に脳の一部が働かないためといわれている。「アスペルガー症候群」の主な特 徴としては、相手の気持ちを推し量れない・会話がうまくできない・極端にこだわりが強い、などの傾向が強いため、他人とのコミュニケーションが難しくな る。「アスペルガー症候群」の人たちは脳の障害によってこうした症状が起きる。「一つのことに集中すると別のことができなくなる。」(電話を聞きながらメ モをとれないなど)なども典型的な症状のようだ。一見して普通の人と区別が出来ないため、親の育て方が悪い、性格の問題だといわれ、障害とは気付かずに長 い間苦しんできた人も多いのだそうだ。最近「アスペルガー症候群」の認識が広がることで、改めて診察を受け障害に気付く人が増えているようだ。
 司会者は「人づきあいが苦手な性格とどう違うのか?」と問いかける。正高信男(京都大学霊長類研究所教授)は言葉の意義を字義どおりにだけ受け取る。言葉は使われる場面状況、文脈で意味が変わることが多々あるが、社会的知性に欠けている。皮肉などは全然理解できない人がいる。こだわりが強い、たと えば時間を順守する強い傾向がある。朝は6:00に起き6:10顔を洗う、6:30ご飯を食べる、7:00出勤する。きっちり決めていて1分でもずれると パニックになるといったことがよく見受けられる、と答えた。司会者は、さらに「それでもそのような性格の人はいるのでは?」「障害と障害でないのはどう違う か?」と問いかけると、正高教授は「一つの基準があるわけではなく、この人に障害があるかないかを決めるといったことができない。だれでも多かれ少なかれ 『アスペルガー症候群』の要素を持っている。多面的総合的に判断した時、これらの症候を持っている人は、持っていない人とちょっと違うんじゃないかという 判断が下される。日常生活で人間関係がうまくいかない、上司との間に軋轢がある。ストレスがある。学校で友達が出来ない。だから職場で働くのがいやにな る。といった社会的不適応を起こす、といったことから判断する以外ない。」と答えた。
 正高の回答は結局のところ本質的な区別ができないということだ。以前、アスペルガー症候群を扱ったTV放映でレインマンのモデルになった男やヘリコプ ターでパリの上空から見た景色を記憶し、自宅に帰ってから細部まで描く男の実際の姿を見たが、特徴的なのは記憶力がずば抜けてすぐれている点だった。ま た、後天的にもアスペルガーの兆候を示す男もいた。彼は、交通事故で前頭葉の一部を損傷したことで、記憶力が強化されたようだ。このような事実をみると、 明らかに前頭葉は一般の生活をそつなく過ごすために、記憶力を抑制し、統合的な判断ができるように調整しているようにおもわれる。もともとは、誰でもがず ば抜けた記憶力は備わっていて、前頭葉の障害などでなくとも、「こころ」の欲求が強い場合などでは抑制・統合機能が低下して、誰でもアスペルガー的な兆候 を示すのだと考えられそうだ。
 また、司会者の「なぜ最近大きく取り上げられるようになったか?」という問いには「現代社会の中で、コミュニケーションの占める比重が飛躍的に大きく なってきたことが原因」と答え、さらに付け加えて、正高教授は、「昭和初年に柳田國男がいっているように、『東日本の山村で働いてる人は単語数10語も口 にしないで生活している』、といっている。一昔前ならコミュニケーションが重要でないといった職種があった。今でもそいった職種を選んで生活する分には社 会不適応にはならない。現在ではそのような職種は片隅に追いやられ、もっぱら他人とのコミュニケーションだけを重視したスタイルになってくる。そうする と、それらが苦手な人はどんどん社会からはじき出される情況になる。」とも言っていた。
 これはすぐれた見解のように思われる。一見、現代では自己の「こころ」の表現が自由にできるようになってきたように見えるが、実際には他人の言動を意識 し、自己を抑圧し、コミュニケーションの世界に多くの時間を割くことを要求されるようになってきて、「こころ」が悲鳴をあげ、その逃げ道のひとつとして、 アスペルガー的症状が起こるということなのだろう。
 最後に正高教授は「障害というとその負の側面が注目されるが、苦手な部分と表裏一体となって障害を持ったゆえの特異な能力を発揮する。障害の強みに注目 すれば社会の中で十分働ける。周囲が『アスペルガー症候群』にかんして的確な認識を持つことが重要。」と述べ、「『アスペルガー症候群』の人は職場で適当 にということが出来ない。きっちりと、徹底的にというのが原則。やってもらいたいことを明瞭に指示することが大事。社会は異質なものを含んだときに活性化 するし、発展する。『アスペルガー症候群』を排除するのではなく、取り込んでいくことが大事。日本はなにかにつけて横並びの社会、しかし、現在このような 閉塞状況を作り出している。これからは、出る杭は伸ばす、方向性をもつことが大事。」と結論付けた。
 「アスペルガー症候群」の明確な定義もなく障害と認定し、特異性のみを強調しているように思われる。正高教授の結論は一見もっともらしく見えるが、こん なことは「アスペルガー症候群」の患者でなくともすべての人に言えることだ。なぜ、特段「アスペルガー症候群」に限定する必要があるのだろうか。さらに、 コミュニケーションの領域が拡大し、「こころ」が逃げ込む領域が減少していることに対する回答は全く示されていない。「アスペルガー症候群」の「とじこも り」状況から社会のコミュニケーションの場に引きずり出そうというのが彼の観点なのか。むしろ「とじこもって」自由に自分の「こころ」を開放する環境を整える方策が必要なのではないのか

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