• さようなら! 太陽も海も信ずるに足りない

霧の階段

  詩はあまり意味を考えずに直感で理解することが多いのだが、一つひっかかると、どうしても理屈づけしたくなってしまう。森川の「勾配」を理解しようと試みるに従い、この「階段」を受けて書かれたという鮎川の「たとえば霧や、あらゆる階段の跫音のなかから遺言執行人がぼんやりと姿を現す。これがすべての始まりである」における階段とは森川と同じ「階段」なのか、という疑問が生じる。どうも違った「階段」のように思われる。森川の到達した「非望の階段」は当時の鮎川など個々の「自由な表出」を掲げてきた者たちにとっては共通に担わされた「階段」であっただろう。そして戦後生き残った鮎川たちがたどり着いた「階段」は先の見えない「霧の階段」であったに違いない。

 


死んだ男  鮎川信夫

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
——死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。



Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代——
活字の置き換えや神様ごっこ——
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。



埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 鮎川は昔M(森川?)などとよく行ったとみられる薄暗い酒場に降り立ったとき、戦死した者たちの「遺言執行人」として、この地点から出発するほかなかったのだ。「遠い昨日、ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、ゆがんだ顔をもてあましたり、手紙の封筒を裏返すようなことがあった。『実際は、影も、形もない?』、ー死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった。」許されるならば勝手な解釈をしてみよう。鮎川はMたちと降り立った酒場でよく酒に酔った口調で議論しあったり、投稿されてきた詩の差出人を見たりしあったのだろう。そしてそのような個人的あるいは仲間内の楽しかったことは、生き残ってしまった今考えてみると、戦争の現実に対しては幻に過ぎなかった。「Mよ、昨日のひややかな青空が、剃刀の刃にいつまでも残っているね。だがぼくは、何時何処できみを見失ったのか忘れてしまったよ。短かかった黄金時代ー、活字の置き換えや神様ごっこー、『それがぼくたちの古い処方箋だった』と呟いて……」鮎川は戦前の凍えるばかりのひんやりとした冷たさは覚えているが、Mの生き生きとした面影は忘れてしまったといっている。短かった黄金時代だったあの頃は言葉遊びなどで、言葉を紡ぎだすことが詩作の処方箋だった。「いつも季節は秋だった、昨日も今日も、『淋しさの中に落葉がふる』その声は人影へ、そして街へ、黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。」そして死にそこなって帰ってきてもそこはいつも愁いにみち「昨日も今日も、『淋しさの中に落葉がふる』」情況で、内側に深く鉛のような沈んだ心象は個々の人や街々にいつまでも続いていた。Mを詩人として葬るための「埋葬の日は、言葉もなく、立会う者もなかった、憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。空にむかって眼をあげきみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。」「『さよなら。太陽も海も信ずるに足りない』Mよ、地下に眠るMよ、きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか」

Mが最後に到達した「生命の根源である」自然(太陽や海)も信じるに足りない。なぜなら、自然はやおろずの神につうじ、やおろずの神は天照大神につうじ、天照大神は天皇制につうじ、天皇制は国家につうじ、国家は戦争につうじている。「言葉の置き換えや神様ごっこ」などの言葉遊びで「自由な表出」の行きつく先は「非望の階段」であった。そして、鮎川自身やM、さらには当時の知識人を含むほとんどの人々が、「非望の階段」の到達点である「自然」への逃避の道を選択せざるを得なかった。しかし、その逃避さえもMの死につながっていた。そこに至った原因は「非望の階段」を強要する「現実世界」の重さであった。それゆえ、鮎川は「霧の階段」に降りたったとき、遺言執行人として「太陽と海」に別れを告げることから始めたのだ。その後、鮎川たちは、詩が「現実世界」と同じ重さになるほどの言葉を紡ぎだすために「真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせる」(吉本隆明『廃人の歌』)あるいは「一篇の詩が生むためには、われわれはいとしいものを殺さなければならない、これは死者を甦らせるただひとつの道であり、われわれはその道を行かなければならない」(田村隆一『四千の日と夜』)という地平から「戦後詩」を切り開いていった。

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