• さようなら! 太陽も海も信ずるに足りない

けっ、しゃらくせえ!~辺見庸

 新型コロナウィルスが日本でもパンデミックの様相を呈している。私はといえばもともと出歩くことが少ないためいつもの生活とあまり変わりはないのだが、手洗いなどを少し多めにするようになった。

 生活クラブの「生活と自治」に辺見庸が連載中の「新・反時代のパンセ」を毎回おもしろく読んでいる。連載64回目の「けっ、しゃらくせえ!」は特におもしろかった。辺見が通信社の外信部員だったとき飲んだくれデスクがいて、口癖が「けっ、しゃらくせえ!」だったという。彼は電車に轢かれて死んだらしい。辺見は愛着をこめて「けたたましく警笛をならしてせまりくる電車を横目に、同じ台詞(「けっ、しゃらくせえ!」)を吐いたのではないか」と想像している。そのデスクが飲み屋でギターを弾きながら合間にぼそっと「おまえな、オリンピックと戦争と天皇にはかてねえんだよ ・・・」といった言葉がこころに突き刺さったようで、この言葉を敷衍して書いている。

 五輪と戦争と天皇・・・。それらの存在と“運動”と肥大の仕方にこの国のマスメディアが一度だってからだをはって異をとなえたことはない。かれはそう言いたかったのかもしれない。
 ひとの話をそのときではなく、50年後にやっと理解するするということだってある。五輪―戦争―天皇の内面的連関と「自明性の(暗黙の)強要」を、酔いどれた先輩はたぶん知っていた。自明性の強要とは、うすうす気づいていながら、しめしあわせたように気づかぬふりをすることだ。・・途中略・・
 私たちはいま、なにものかにあからさまに弾圧されているのではない。わたしたちの乏しい内面が、わたしたち自身を執拗に弾圧しているのだ。まるで真の不幸をのぞむかのように。連日のオリパラ・ご退位さわぎに無言で毒づく。けっ、しゃらくせえ!

辺見庸『新・反時代のパンセー不服従の理由ー』生活クラブ,「生活と自治」,2019年10月

 みごとな解釈である。うすうす気づいているか気づいていないかは別として、「自明性」は常に共同性が個人に「強要」してくるものだ。しかし今回の新型コロナウイルスの蔓延はこの自明性をおかまいなしに破壊する。「天皇誕生日の一般参賀」の中止、東京オリンピック・パラリンピックなども中止になるかもしれない。このウィルスに対抗するためには精神論で対抗するのではなく、現実の社会で生き抜くための智慧が必要だ。会社を自主的に休んだり、さぼったり、なによりも「人のため、社会のため、会社のため、けっ、しゃらくせえ!」だ。「自分のため」を最優先にすることだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です